3カ所から出たガラス玉は、どれもマグネシウムとカリウムが少ないことから、ナトロンを使ったソーダガラスであることがわかった。このほかに含まれる成分の種類や量の割合も、3カ所でよく似ていた。

●ローマ帝国から「草原の道」を通って日本へ

 これらのことから、平原遺跡の重層連珠がどこで作られ、どこを通って伊都国にやってきたのか、田村さんは次のように考察した。

「3カ所から出たガラス玉は、いずれもナトロンを使ったガラスで、ローマ帝国領土内の東地中海沿岸で作られたと推測できました。カザフスタンやモンゴルからも出土していることから、東地中海で作られたガラス玉は、伊都国だけでなく、古代のカザフスタンやモンゴルの人たちにも好まれたことがわかります。おそらくこのガラス玉は、『シルクロード』の『草原の道』を通り、カザフスタン、モンゴル、朝鮮半島を経由して伊都国まで運ばれてきたのでしょう」

 弥生時代後期というとおよそ2千年前。そんな大昔に、日本からおよそ1万キロメートルも離れているローマ帝国の産物が日本に入ってきていた。つまり、ユーラシア大陸の人々が広く交易していたことが、ガラス玉の分析からわかったのだ。

「小さなガラス玉を追っていくと、古代世界のつながりが見えてきて、東地中海までたどり着きました。記録に残っていない2千年前の国際関係の一部を知ることができたともいえます。小さなガラス玉から、大きな世界が見えてくるところがこの研究の魅力です」(田村さん)

 日本で見つかっているガラス玉は、弥生・古墳時代を通して約60万点。海外でもたくさん出土している。田村さんは今後、少しでも多くのガラス玉を分析して古代の歴史を明らかにしていきたいと、目を輝かせて語ってくれた。

(サイエンスライター・上浪春海)

※月刊ジュニアエラ 2021年12月号より

ジュニアエラ 2021年 12 月号 [雑誌]

朝日新聞出版

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