“アンパンマン”の生みの親・やなせたかしと暢の夫婦をモデルにしたNHK朝ドラ「あんぱん」もいよいよ終盤に突入。子どもたちはもちろん、親世代にも愛と勇気を教えてくれた絵本の数々にはやなせたかしさんの熱い思いが込められています。当時89歳だったやなせさんが「AERA with Baby」(休刊)の2008年秋号で語った珠玉のインタビューを紹介します。
【貴重】雑誌「PHP」に初登場したときの人の形をした『アンパンマン』はこちら子どもたちのおかげで僕は絵本作家になった
僕は絵本を描くようになる前から、漫画家や舞台製作、作詞家といろんな仕事をしてきました。例えば童謡『手のひらを太陽に』は僕が作詞したもの。三越の包装紙にある「Mitsukoshi」というレタリングも実は僕が社員の頃に描いたんです。どちらも手がけた当時は、こんなに長く親しまれるとは思っていませんでした。
絵本の処女作『やさしいライオン』も、思いがけず生まれました。ある日突然、ラジオドラマの脚本を頼まれたので、昔描いた漫画のストーリーを使って一晩で仕上げたんです。不思議なもんですね、急いで書いたこのドラマの評判が非常に良かった。そのラジオドラマの出演者が、フレーベル館で少年合唱団の指導もしていたんです。そのつながりでフレーベル館から「絵本にしましょう」と言われて、作ったのがこの『やさしいライオン』。なぜか絵本の方もすごく人気が出て、僕が次の絵本を作るきっかけとなりました。だからこの絵本は僕にとって特別な一冊です。


『やさしいライオン』がヒットしたので、フレーベル館からまた絵本を依頼されました。でも僕はそれまで大人向けの漫画ばかりで、子ども向けのものを描いたことはなかった。だから僕の話は小学校2年生以上じゃないとわからないだろうと思っていました。しかもフレーベル館の絵本は保育園・幼稚園に直販されているので、読者は2〜3歳の子どもたち。だからいろいろと悩みながら次の絵本を作りました。
そうして生まれたのが『あんぱんまん』。でも最初は評判が悪かったんだよねえ。「あなたは『やさしいライオン』のような絵本が描けるんだから、パンが空を飛ぶなんてくだらない内容を描かないでください」と大人たちからは言われました。
ところが、幼稚園や保育園の子どもたちは、『あんぱんまん』を大好きになってくれました。出版されて5年くらいのうちに園で一番人気がある絵本になって、僕が園へ行くとみんなが喜んでくれるようになったんです。
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