そうなって初めて『あんぱんまん』の続きを出すことになりました。年間に25冊もアンパンマン絵本を描いたこともあります。人気のある絵本作家だって普通は1年に2冊出す程度だから、これはずいぶんハイペースでした。ほかの仕事は断わって絵本に専念する日が続きました。こうして僕は絵本作家になったんです。

正義は自分を犠牲にして人を飢えから救うこと

 アンパンマンが最初に登場したのは絵本ではなく、雑誌に載った短編です。その頃のアンパンマンは人の形をしていました。丸顔でぼろぼろのマントを着たおじさんが空を飛んできて、飢えた人にアンパンを配るという話だったんです。絵本にするときに、アンパンを配るよりも、アンパンが自分自身をかじらせた方が面白いと思って、今の顔にしました。

写真・図版(4枚目)| やなせたかしさんが生前語った「アンパンマン」誕生秘話 「パンが空を飛ぶなんてくだらない内容を描かないで、と大人に言われた」
1973年に出版以来愛されてきたアンパンマンの1冊目の絵本。手足が長く、今のアンパンマンとはずいぶんスタイルが違います。 『あんぱんまん』(フレーベル館) (C)やなせたかし
1973年に出版以来愛されてきたアンパンマンの1冊目の絵本。手足が長く、今のアンパンマンとはずいぶんスタイルが違います。 『あんぱんまん』(フレーベル館) (C)やなせたかし

 アンパンマンは正義の味方ですが、すごく弱いです。顔が食べられてなくなると元気がなくなってしまう。こんな正義の味方はほかにはいません。

 正義って何だと思いますか? スーパーマンやバットマンは悪いやつをやっつけて「正義は勝った」と言うけれど、悪いやつの立場になってみたら正義の方が変だと僕は思うんです。

 僕らが本当に正義の味方に求めているのは、「自分たちの生活が安定するように守ってくれる」ことだと僕は考えています。もっと簡単にいえば、「ひもじい時に食べさせてくれること」。そして正義の味方は、本人が傷つくことも覚悟していなくてはいけないと僕は考えています。ひとつの自己犠牲ですね。だからアンパンマンは自分がつらくなるとしても、人に自分の顔をかじらせる。飢えた人を助けて自分が傷つくアンパンマンこそ、僕にとっての本当の正義の味方なんです。

子どもに影響を与える毒は絶対に使いません

『アンパンマン』の絵本と同じくらい長く続けている仕事が詩の雑誌の編集長です。雑誌「詩とメルヘン」は詩や絵が好きだった父の遺志を継ぐために始めました。最後は廃刊になったけれど、それでも30年ほど続きました。

写真・図版(6枚目)| やなせたかしさんが生前語った「アンパンマン」誕生秘話 「パンが空を飛ぶなんてくだらない内容を描かないで、と大人に言われた」
写真・図版(7枚目)| やなせたかしさんが生前語った「アンパンマン」誕生秘話 「パンが空を飛ぶなんてくだらない内容を描かないで、と大人に言われた」
1973年創刊の「詩とメルヘン」(サンリオ刊)は、やなせさんが責任編集としてさまざまなことを担当した雑誌です。現在もその精神は「詩とファンタジー」(不定期刊、かまくら春秋社刊)に受け継がれています。(C)やなせたかし
1973年創刊の「詩とメルヘン」(サンリオ刊)は、やなせさんが責任編集としてさまざまなことを担当した雑誌です。現在もその精神は「詩とファンタジー」(不定期刊、かまくら春秋社刊)に受け継がれています。(C)やなせたかし

 最近、また雑誌「詩とファンタジー」(2007年創刊)の編集長を引き受けたのは、最近の社会が荒れて残酷な事件が多くなったから。そういう流れを少しでも変えるためにも、抒情詩の世界は必要だと思ったんです。「詩とメルヘン」のときほど実務はやっていないけれど、毎号4編の詩と絵を描いています。

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