何をやるにしても、「頑張る力」を養うことが将来につながる

――娘さんが打ち込めることを見つけるとしたら、どんな分野が思い浮かびますか?

 娘は、僕よりも弁が立つから、弁論部なんかもいいかもしれないですね。テレビで見たことがあるんですが、弁論の全国大会なんかに出場するとか。

 それから、うちでは犬を飼っていて、娘はとても可愛がって世話をしています。動物が好きだと言っているので、獣医師とかトリマーなど、将来は動物に関わる仕事をするのもいいんじゃないかな。

 大切なのは、その過程で練習を積んで努力すること。“頑張る力”を養うことは、将来にもきっと役立つでしょう。

 プロレスとは分野が違っても、壁に突き当たった時の苦しさを乗り越えるためにやるべきこと、あるいは、本番(試合)に向けての心構えは共通していると思います。

 憧れのジャイアント馬場さんからは無視され続けた

――小橋さんご自身はどのような少年時代を送り、プロレスラーになられたのですか?

 幼い頃に両親が離婚したので、物心ついた頃には父親がおらず、仕事や家庭のことなど、苦労する母の背中を見て育ちました。

 小学校5年生のとき、テレビ中継で全日本プロレスのジャンボ鶴田さんとミル・マスカラスさんの試合を兄貴と一緒に見ました。迫力があってかっこよくて、いまでも鮮明に覚えています。「プロレスラーになりたい!」と思ったのも、この試合がきっかけです。

 当時は、ジャイアント馬場さん率いる全日本プロレスと、アントニオ猪木さん率いる新日本プロレスがあって、僕が入門したのは全日本プロレスです。理由は馬場さんのファンだったから。なんだか、馬場さんに父親のようなものを感じたんですよね。当時はまったく記憶に残っていない父親ですが、「馬場さんみたいな人だったらいいな」と思ったのかもしれません。

――実際に憧れの馬場さんにお会いした印象はいかがでしたか?

 やっぱり大きかったです。入門して半年ほどたって馬場さんの付き人になったのですが、馬場さんは僕の前の付き人のことを将来のエース候補として大変気に入っていました。その人がある失敗をして周りの先輩方が怒って、「今日から馬場さんの付き人をやれ」と言われ、その日から僕が付き人になりました。馬場さんは勝手に僕と交代させられたのが気に入らなかったようで、口を聞いてくれませんでした。

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