宮本 子どもはおなかの中にいるときから全力で学習してるから、邪魔しなければ自然な学習は壊れません。やらせようとするから嫌がるんです。食事と同じ。おなかが空けば勝手に食べるから、食べたくなるようなものを置いておけばいい。「食え、こっちも食え」って言われたら食事が楽しくなくなります。学習は本能です。これがすべて。

「学習習慣」に取り憑かれたみたいになっている

井本 存分に自分のままでいられれば、必要なことはするんですよ。学習習慣をつけさせようってことに、みんな取り憑かれたみたいになってますよね。

おおた 「結果につながらなくていいから、時間が来たら机に座って。それだけでいいから」みたいな。机に座ったら、こんどは「やる気がない」とか必ず言われますけどね。

井本 これもポーズですよね。「ポーズでもいいからやって」みたいな。本当に毒されてると思いますね。

 たとえば政治でもなんでも、本心ではないとわかっていてもポーズをとればよしとされるし、逆にポーズをとらないと許せないみたいな。呪いをかけられたように。本質的なところよりも、表面的なところで要求し合う世の中になってますよね。

 みんなが「学習習慣」というやつも、時間が来たらとりあえず机に向かうみたいなポーズを求めているわけですよね。これも大きくなってからの話だと思うんですよ。たとえば何かの資格を取りたいと思ったとき。「やべぇ。俺、決めないと勉強しねえや。じゃ、絶対にこの時間に勉強しよう」って、まず自分に目的があってそのための習慣をつけようとする思いがあってできること。そもそも子どもはいまを生きてるんだから、習慣っていう考え方自体がなじみません。

おおた 世の中一般にいわれる学習習慣って、それをしなくちゃ気持ち悪くてしょうがないという強迫観念として勉強を生活の中に刷り込むという意味かもしれないですね。内発的に学びたくなることとは相反するパターンを子どもの体に染み込ませる。時間が来ると机に向かって、心を麻痺させて積まれた課題をやる。たしかに扱いやすい労働者にはなってくれそうですけれど、それは本当に呪いかもしれないですね。でも、学習習慣をつけましょうって、教育のプロもみんな言いますよね。

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