卒業後は広告代理店に就職し、広告などで使う絵を描く仕事をしていました。好きな絵を描いてお金がもらえるのだから、幸せだと思われるかもしれません。でも、僕には不満でした。だれかに頼まれたものではなく、自分の描きたいものを描きたかったんです。4カ月後には、耐えられなくなってやめてしまいました。それも、途中で仕事を投げ出すような形で。若気の至りとはいえ、今は反省しています。その後、有名な漫画家の先生のアシスタントもしたのですが、やはり、ほかの人に頼まれたものを描くのは気が乗らず、長続きしませんでした。

 自分の描きたいものを描こう! そう心に決めた僕は、家にこもって漫画を描き、新人賞のコンテストに応募することにしました。心配する父を、「6カ月だけ、時間をください」と説得して。後がないと思い、必死でしたね。知恵を絞って、いっぺんに違う種類の漫画を4本描いて応募しました。すると、実力はともかく情熱を評価してもらえたのか、佳作に滑り込みました。それをきっかけに漫画家への道が開けたのです。

 サバイバルシリーズを描くことになったきっかけは、大学時代に一緒に漫画サークルを立ち上げた友人の洪鐘賢のおかげです。彼が、僕よりも早く科学漫画の実験対決シリーズを描き始めていて、同じ出版社でサバイバルシリーズが始まるとき、僕のことを推薦してくれたのです。

 日本でもサバイバルシリーズは人気があると、話に聞いてはいましたが、実際に日本に来て、たくさんの子どもたちが「何冊も持ってます」とか「大好きです」と言ってくれるのを聞いて感激しました。特に、ジオの大人気ぶりに驚かされました。「ジオが好き!」ってみんなが言ってくれるのを聞いていたら、「もっとかっこいいジオ、みんなが気に入ってくれるジオを描かなくっちゃ」っていう気持ちが湧いてきました。だから、これからのジオに期待してくださいね。

※韓国の日本文化開放:かつて、日本が朝鮮半島を植民地的支配した歴史から、韓国では長い間、日本の映画や小説、音楽、漫画などの流入が禁じられてきた。しかし、サッカーW杯の日韓共催決定などを機に、金大中大統領時代の1998年以降、段階的に開放されていった。

(取材・文/ジュニアエラ編集部)

ジュニアエラ 2016年 12 月号 [雑誌]

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ジュニアエラ編集部
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