「ハギトモ」の愛称で親しまれている元競泳選手の萩原智子さん。現役時代は、シドニーオリンピックに出場し2種目で入賞を果たすなど、日本の水泳界の第一線で活躍しました。意外なことに、小学校2年生まではカナヅチだったというハギトモさんに、水泳を始めたきっかけや、スランプに苦しんだ高校時代のこと、選手生活を支えたコーチや家族、先輩とのエピソードを聞きました。※後編<元競泳選手・萩原智子が小4息子の習い事に「口出ししない」と決めた理由 「監督の言葉にハッとしました」>へ続く
【写真】小学生のころのハギトモさん(ほか全5枚)小2の夏 海で溺れて習い始めた水泳
――水泳を始めたきっかけが「海で溺れかけたこと」というのは、本当でしょうか!?
はい、本当です。小学校2年生の夏休みに家族で南紀白浜に行ったのですが、バンザイをして海に飛び込んだら、浮き輪が外れてしまって。当時私はカナヅチだったので必死でもがいていたものの、その様子を見ていた父は慌てる様子もなく、のんびりしたものでした。後から「何ですぐ助けてくれなかったの?」と文句を言ったら「智子が泳いでいると思ったんだよ」と。それがなんだか悔しくて、父がびっくりするくらい上手に泳げるようになりたい!と、スイミングスクールに通い始めました 。
「けのび」から1年で選手コースに
――まったく泳げない状態で、スクールに通い始めたんですね。
そうですね。でも実は私、小3の夏には、もう選手コースにいました。通常はクロール、背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライという4つの泳法をマスターして、その後、育成クラスを経て選手コースに進みますが、それを全部飛ばして選手コースに入りました。
――たった1年で、カナヅチから選手コースですか?
私が現役時代にお世話になった神田忠彦コーチが、当時選手コースの指導を担当していたのですが、スクールに通い始めたばかりの私を見て「あの子は背が高いし、手足が長いから、モノになるかもしれない」と思ったそうです。それで他のコーチにも「あの子をとにかく早く上のクラスに上げてほしい」と指示を出していたと、ずいぶん後になってから聞きました。
次のページへコンプレックスをどのように乗り越えたのか?