小6で170センチ 「電信柱」と言われ傷付いた
――小中学生のころの身長はどのくらいだったのでしょうか?
小6で170センチ、中3では175センチくらいです。大きなからだは、それを使いこなす技術と体力、筋力があれば武器になりますが、使いこなせなければ水中での抵抗を増やす “おもり”になります。それにそもそも、小学校時代の私にとっては、背が高いことはコンプレックスでしかありませんでした。他の子よりも頭2つ分くらい大きかったので、運動会でも私が入場すると、観客席から「わぁ、あの子大きい!」って歓声が上がるんです。男の子から「電信柱」とからかわれて、傷付くこともありました。
――身長へのコンプレックスは、どのように乗り越えましたか?
私が通っていたスイミングスクールの選手コースでは「アスリートは人前で話す度胸も身につけておいたほうがいい」ということで、神田コーチに指名された選手がみんなの前に立ち、練習前にスピーチをする時間を取り入れていました。ある時、私が指名されたので、ちょうどその前日にバルセロナオリンピックで金メダルを取った岩崎恭子さんの姿に感動したこと、自分も岩崎さんのようになりたいと勇気を振り絞って話したんです。
そうしたら、みんなが拍手をしてくれて、神田コーチも「身長をいかしたダイナミックな泳ぎができるようになれば、世界で通用する選手になれるよ」と言ってくださいました。当時私は小学校6年生でしたが、この言葉は響きましたね。からだが大きいことを長所だと捉えられるようになったきっかけの一つは、このときの神田コーチの言葉。指導者の一言がいかに大きな影響を子どもに与えるのかを、身をもって知った出来事でした。
「コーチに謝って来なさい」母に叱られた日
――神田コーチは、水泳の技術だけでなく、心も育ててくれたんですね。
そんなにお世話になったコーチなのに、中3から高1にかけての反抗期には、両親よりも神田コーチに当たってしまったんですよね……。ちょうど記録が伸びてちやほやされて、天狗になっていたのもあると思います。ある時、私の態度があまりにも悪いので「もう帰れ!」とコーチに怒られ、私は反省するどころか「ラッキー」って帰宅したんです。
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