私がいつもより早く帰ってきたので、母は体調が悪いのかと心配していましたが「コーチに叱られて、帰れと言われたから帰ってきた」と伝えると、外に追い出されました。玄関の鍵も閉められて「神田コーチに謝って来なさい。そうしないと一生家に入れないから」って。

 今思い返しても、あんなに激怒した母を見たのは、最初で最後です。結局、泣きながらスイミングスクールに引き返して、神田コーチに謝って、そこからしばらくは練習時間を使って、指導者とたくさんミーティングをしました。反抗期は、自分でよくないとわかっていてもイライラが募ってしまう時期で、引っ込みがつかないんですよね。あのとき叱ってくれた母と「練習よりも大事だ」と言って私の思いに耳を傾けてくれたコーチのおかげで、反抗期はたった4カ月で終わりました。

ハギトモさんと神田コーチ

4年のスランプを乗り越えシドニー五輪へ

――高校時代はいかがでしたか?

 反抗期は終わったものの、ちょうど思春期で体が変化する時期に練習を頑張らなかったことで、そこから4年間はスランプが続きました。インターハイは3連覇できましたし勝負には勝てたんですが、記録が伸びない。だからジュニアの代表にはなれても先輩方には勝てず、日本代表には選ばれませんでした。あの時期は、本当につらかったです。

 このつらい時期を支えてくれたのも、家族やコーチなど周囲の人の存在でした。スランプの時期、コーチの提案でそれまでのメインだった200m背泳ぎに加えて200m個人メドレーにも挑戦してみたら、レベルの高い記録で泳ぐことができ、次々と自己ベストも更新できたんです。記録が伸びる喜びを感じられたおかげで、練習に対するモチベーションを維持できましたし、メドレーの練習で体力が付くと背泳ぎの記録も伸び始めて。翌年のオリンピック選考会では200m個人メドレーと200m背泳ぎの両方で日本代表に選ばれました。

シドニー五輪出場当時のハギトモさん(右)

優勝した自分を祝福してくれた 強くて優しい先輩

――結果、両種目で入賞という素晴らしい結果を残されました。

次のページへ「私もこんなふうに強くて優しい先輩になたりたい」と、心から思った言葉
1 2 3 4