実は、勉強の下地がありました

――電車で塾に通っていたのですね。勉強はつらくありませんでしたか?

 塾は部活のような感覚だったのかもしれません。友達のことも大好きでしたし、みんなで目的に向ってがんばることにワクワクしていました。「目標」があると燃えるので(笑)。

 当時、勉強は得意でした。小学校入学前に、就学準備のために塾に通ったのですが、そこで学校の勉強を予習したことで、小学校の勉強はスタートからスムーズ、この下地が「自信」になったんだと思います。勉強のやり方や要領を理解していたんだと思います。

――皆藤さんはどんな小学生でしたか?

 そんなわけで自信があったのか(笑)、とにかく目立ちたがり屋でした。勉強はもちろん、運動でも活躍したくて、友達と朝練をしてリレーの選手を勝ち取ったり、鼓笛隊では先頭で指揮棒を振ったり。

 朗読でほめられることがあり、そのころから「アナウンサーになりたいな」と思い始めていました。当時は放送委員会に所属して、給食の時間に本を読んだり音楽をかけたりしていましたね。

中学生からキャラ変! 燃え尽きて勉強にも身が入りませんでした

――そして、無事に渋谷教育学園幕張中学に合格されました。どんな中学時代でしたか?

 出席番号が前後の仲よし3人組で室内楽部という弦楽器を演奏する部に入部しました。同級生はいろんなタイプの子がいましたが、好みや趣味が違ってもみんな仲がよく、雰囲気は最高でした。とても楽しい学校生活だったのですが……勉強面はダメダメでしたね。

――ダメダメとは……?

 中学受験で燃え尽きてしまったんだと思います。合格して目標を達成すると、次になにをしたらいいのかわからなくなってしまったんですね。学校の授業はとても楽しく、生徒の自主性を尊重してくれるスタイルだったのですが、私自身、勉強にいまいち身が入らず成績はずっと低空飛行でした。

 さらに、思春期の訪れとともに「目立つのは絶対イヤ」というキャラに変わってしまいました。あの目立ちたがり屋の精神はいったいどこへいったのか、「一切目立ちたくない子」になったのです。発表するときも前に出るのが嫌だし、合唱では目立たない、一番後ろの端のポジションをねらっていました。ですから、私が人前に出る仕事に就いたとき、渋幕の友達はみんなびっくりしていました。あんなに目立つのを嫌がっていたのに、と(笑)。

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