それ以来この家族でキャンプやアウトドアに出かける時には「バドミントン持ってく?」が合言葉になっています。

 何が言いたいかっていうと、運動オンチだって誰も傷付かず笑顔で「スポーツ楽しかった!」という感想を持てる方法はあるんですよね。

 齢四十にしてそんな当たり前のことがようやくわかったのは、それまで経験した学校生活におけるスポーツが常に「競い、順位を付け、優劣をはかる」ものだったから。そしてバカにされたり恥をかいたと感じることが増えるごとに、どんどんスポーツに苦手意識が芽生え、大人になる頃には人前で体を動かすこと自体避けるようになってしまった。そんな人、結構いるんじゃないでしょうか。

 運動や芸術のような得手不得手が分かれる科目って、小学生のうちに幅広く触れてみる機会を持つのは大切だけど、それを公の場で優劣をつけ評価することにメリットはあるんでしょうか?

 持つ必要のない劣等感を持つきっかけは、できればなくしていきたい。だからってみんなでおてて繋いで一緒にゴール!なんて茶番をしてほしいとは微塵も思いません。

「運動会でしか輝けない子もいるんです」

 一方でこんなツイートも以前見かけました。これもまた、分かる。ものごとにはいろんな側面があるものですね。

 わが家には選抜リレー走者に選ばれる可能性のある子はいないけれど、リレーでは自分のことのようにチームを熱心に応援していたし、親のほうも小さい頃から知っている俊足の子を見つけると大きな声援を送っていました。

 運動オンチから見ても、運動神経が良く負けず嫌いの子たちが全力で競技に向き合う姿は純粋にカッコいいし、拮抗した実力の競り合いって応援にも熱が入って盛り上がります。スポーツ、やらないけど見るのは好きって人も多いですもんね。だから、そういう子には存分に力を発揮してほしいと思っています。いつも興奮と感動をありがとう。

 コロナ禍を経ていろいろな行事の内容が縮小された中で、わが子の学区の小学校では全員参加の徒競走が無くなり、今年も選抜リレーのみでした。いやー、コロナで気付けた学校行事の5大無駄ぐらいの一つだと思います。徒競走。

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