ここ数年、活況を呈している中学入試。なかでも際だって志願者数が多いのが、埼玉県の私立栄東中学だ。今年で10年連続して志願者数が1万人を超えた。開校時には募集人員にも満たなかった志願者を日本一集める人気校にまで育てた立役者が、現在の田中淳子校長だ。前編では、「実は教員を目指していなかった」と語る田中先生のパワフルな経歴をたどる。

MENU 教員を目指したわけではなかった 「あなたの英語は中学生以下だ」 京都の山の学校が教員の原点

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教員を目指したわけではなかった

 校長や理事長を兼務しながら、今でも教壇に立って英語の授業を行う田中先生は、生徒にとっては怖いけれど愛すべき存在だ。卒業文集からは「校長に教わって不幸で、光栄でした」「一番印象に残っているのは田中淳子先生」と、生徒に慕われている様子が伝わってくる。

 田中先生は間違いなく、今の栄東をつくった立役者の一人だ。しかし意外にも、当初から教員を目指していたわけではない。同志社大学の英文学科在学中に、通訳案内士の国家資格を取得。卒業後は世界銀行(以下・世銀)に就職した。そのいきさつを、「採用試験の成績はどん尻。でもね、応募者の中に女性が2人しかいなかったのよ。通訳には女も必要だろうと拾ってもらえたんですよ」と笑う。

世銀時代にルーマニアの小学生と(写真は提供)
世銀時代にルーマニアの小学生と(写真は提供)

 入行後は世銀からの借款に返済能力があるかどうか、調査のために東欧を中心としたヨーロッパ各国へ派遣される。長く滞在したルーマニアには、いろいろな思いがある。

「ちょうど日本が上り調子の時代でした。日本からのお土産に使い捨てのボールペンやガスライターを持参したら、魔法の国から来たと言われましたね」

 素朴で陽気な人々との交流は楽しかったが、次第にチャウシェスク氏の権力が増し、独裁政治の色を帯びていく。川で遊んでいる子どもたちの写真を撮っていると、憲兵に連行されフィルムを巻き上げられたこともあった。監視の目も光り、生活が息苦しくなっていたときに日本に呼び戻される。

「世銀の融資で、日本に高速道路をつくることになったのです。ドイツやフランスから技術者が来日し、通訳が必要でした」

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柿崎明子
ライター 柿崎明子
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