(5)転倒したら自分で起き上がる!
車いすのタイヤは斜めになっている。このため、回転しやすく、細かな動きが可能になる。巧みな車いす操作と車いす同士の激しい攻防が魅力だが、転倒することも少なくない。そんなときは、自分で起き上がるのが基本だ。
(6)日本代表が世界4位に
日本の実力は世界でもトップクラス。昨年は23歳以下の世界選手権で4位に入り、古澤拓也、鳥海連志両選手が大会のオールスター5に選出された。
■パラリンピック種目でもある!<車いすバスケットボール>
下肢などに障害のある選手が車いすに乗って戦う。ルールや使用するコート、リングの高さ、ボールなど、一部を除いては、一般のバスケットボールと変わりはない。障害の程度によって、各選手に持ち点が1.0点から0.5点きざみで4.5点まで設定される。障害が軽いほど点数が高くなる。コート上の5人の持ち点の合計点を14点以内で編成することで、障害の軽い選手だけでなく、重い選手にも出場機会が生まれる。
■国境を超えた 五輪閉会式のルーツは?
大会の最後を飾る閉会式。入場の仕方が開会式とはちょっと違う理由を紹介する。
開会式と閉会式は、競技同様、五輪の見どころの一つ。その国の歴史やメッセージなども盛り込んだ演出を楽しみにしている人も多いだろう。
そんな開会式と閉会式で違うのが、選手の入場の仕方だ。開会式では選手たちが国や地域ごとにまとまって入場する。しかし、閉会式ではバラバラだ。ほかの国の選手同士が肩を組みながら入ってくることもある。スポーツが国境を超えることを象徴する、とてもいい光景だと思う。
初めてこういうスタイルの閉会式が行われたのは、1956年夏季のメルボルン五輪(オーストラリア)だ。きっかけは五輪組織委員会に届いた、一通の手紙だった。そこには、閉会式では選手たちが戦争も政治も国籍も忘れて自由に歩き、全員が一つの国になってほしいと書かれていたのだ。当時は、アメリカとソ連(現在のロシアなど)が冷戦と呼ばれる対立を続け、いつまた大きな戦争が起きるかもわからなかった。そんな時代だったこともあり、委員会がこの提案を受け入れて実現したのだ。
きっかけとなった手紙の主がだれなのかは、本人の希望もあって明かされなかった。しかし、30年後の86年に、開催国オーストラリアに住む、当時17歳の男性だったことが判明した。一人の若者の平和への熱い思いが、半世紀以上も続く五輪の伝統をつくったのだ。
※月刊ジュニアエラ 2018年5月号より