もう一つ、大切なことがあります。子どもの人生を俯瞰してみると、「教育」というカテゴリーのさらに小さな一角に「中学受験」というイベントが入れ子のような状態であるといえます。中学受験という狭い世界のなかでパフォーマンスを最大化することに一生懸命になってしまうことで、それが子育てや教育というより広い視点で見たときに、本当に親として発したいメッセージなのか、矛盾はないのか。常に確かめてほしいと思います。
人生は思い通りにならないから面白いわけで、そのままならなさを生きていく。中学受験も同じです。思い通りにいかないことに気をもみながら、それでも前に進み続けるしかない。12歳でそうした“試練”を味わえることが中学受験に挑む意義の一つだと思います。
■親は子どもに知恵を授ける存在になろう
中学受験はただならぬ試練の連続であり、試練には苦しみがつきものです。耐えられない痛みや悲しみを味わったときに、それを自分なりにどう解釈していけばいいのか、どうすれば成長につなげていけるのか。それらを子どもにうまく伝え、親自身の人生で培った知恵を授けていく。「苦しい経験から、教訓を抽出していく」のが中学受験に臨む親に必要な役割です。これは、勉強を教えるよりもはるかに大切なこと。子どもが受け継いだ知恵は、中学受験だけでなく、その先も長く続いていく人生にも応用していけるはずです。
勉強の仕方においても、「こうすればいい」という“正解”はないと思います。子どもが自分で試行錯誤しながら進めていくのが楽しいのであり、それを自ら見つける前に人から与えられてしまったら、一番の喜びを奪われることになるわけです。
子どもが工夫しながら見つけた勉強の仕方は自分なりの学びのスタイルとなり、一生の財産となっていく。親がつきっきりで一時的に成績を伸ばすよりも、たとえ時間がかかっても自分なりのやり方を切り開いていく子どもの力を信じてほしいと思います。
(取材・文/古谷ゆう子)
朝日新聞出版