ふじた・まさき/1985年、北海道稚内市出身。藤建設所属。19歳だった2004年夏、事故で両足のひざから下を失う。2年後、事故前に大学で取り組んでいたトライアスロンを再開。その翌年、トレーニングとして出場した日本障害者自転車競技大会で優勝する。パラリンピックは北京、ロンドン、リオと3大会連続で計五つのメダルを獲得(銀3、銅2個)。C3クラス(写真/伊ケ崎忍)
ふじた・まさき/1985年、北海道稚内市出身。藤建設所属。19歳だった2004年夏、事故で両足のひざから下を失う。2年後、事故前に大学で取り組んでいたトライアスロンを再開。その翌年、トレーニングとして出場した日本障害者自転車競技大会で優勝する。パラリンピックは北京、ロンドン、リオと3大会連続で計五つのメダルを獲得(銀3、銅2個)。C3クラス(写真/伊ケ崎忍)

 東京パラリンピックは8月31日、自転車ロードレースの男子タイムトライアル(C3)があり、藤田征樹(36)が出場する。AERA2020年2月3日号のインタビューを紹介する(肩書、年齢は当時)。

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 黒く光る両足。美しい流線形の2本の義足は先端がペダルに固定され、自転車と一体化している。世界的にもめずらしい両足義足のサイクリスト藤田征樹は、北京パラリンピックで日本の義足選手として初のメダリストになって以来、3大会で銀三つ、銅二つを手にしてきた。

 2018年のロード世界選手権遠征中に落車し左腕を複雑骨折。19年5月のレースで復帰した。長期間レースから離れ、感覚を取り戻すのに苦労しているが、「けがの間に新しい試みとしてまいた種をひとつひとつ回収していく」と自信も見せる。

 その一つが義足の見直しだ。義足は関節を固定するため立ち漕ぎがしにくい。義肢装具士やコーチと様々な検討を重ねて立ち漕ぎしやすいように改良したことで、加速が必要な場面で積極的に走れるようになった。9月のロード世界選手権は要所要所で加速が必要な、決して得意とは言えないコースだったが、最後まで先頭を争った。ゴール直前の落車回避で遅れ、7着という結果だったが、まいた種は着実に実りつつある。

 日立建機の技術研究開発部門で10年間フルタイム勤務しながら世界と戦ってきたが、昨春、出身地の北海道稚内市の藤建設に所属を変え、今は競技に専念する。

「より強く、より速い選手になって、まだ手にしていない『金』に挑戦できるだけの準備をしっかりしていく」

 逆境をも力に変えて、自らをアップデートしてきた藤田。新たな武器を手に、目標に向かってさらに加速する。

(編集部・深澤友紀)

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■自転車

「バンク」と呼ばれる傾斜のある競技場を走るトラック競技と、一般の道路を走るロードレースがある。クラスは使用する自転車で四つに分かれ、切断や機能障害などの選手が乗る通常の二輪自転車以外に、脳性まひなど重度の四肢障害者の三輪自転車、視覚障害者が目の見える選手とペアを組む2人乗り用タンデム自転車、下半身不随の選手用のハンドサイクルがある。

※AERA2020年2月3日号に掲載