小学校に入学したばかりの頃のコウ。装具をひとりで履くのもままならず、登下校時には付き添いも必須でした。こんなに手が離れる日が来るとは全く想像できませんでした(撮影/江利川ちひろ)
小学校に入学したばかりの頃のコウ。装具をひとりで履くのもままならず、登下校時には付き添いも必須でした。こんなに手が離れる日が来るとは全く想像できませんでした(撮影/江利川ちひろ)

「インクルーシブ」「インクルージョン」という言葉を知っていますか? 障害や多様性を排除するのではなく、「共生していく」という意味です。自身も障害のある子どもを持ち、滞在先のハワイでインクルーシブ教育に出合った江利川ちひろさんが、インクルーシブ教育の大切さや日本での課題を伝えます。

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 もうすぐ年度末です。

 私が運営しているNPO法人かるがもCPキッズでは、この時期は4月に就園・就学を迎えるお子さんのパパやママからの相談がとても増えます。どんなに法律が変わってインクルージョンが進んでも、新しい環境で「お友達と楽しく過ごせるのか?」「クラスに付いていけるのか?」という不安は、障害のある子どもを育てる保護者が持ち続ける共通の悩みなのだと思います。

■入れる幼稚園が見つからずハワイへ

 我が家の中3の息子は、ひとりで歩くことができない状態だった頃に幼稚園探しを始めました。結局、当時は受け入れ先が見つからず、ハワイ州のプリスクールへ行くことになったのですが、私は一時期このことがトラウマになり、幼稚園や小学校に入学後も、クラス替えをするたびに不安にかられていました。もしも新クラスで遅れが目立つことがあれば、その先はないと思い込んでいたのです。

 でも、障害の有無に関わらず子どもは必ず成長します。

 今回は、新学期を目前に不安を抱えているパパやママの気持ちが少しでも晴れるように、私のこれまでの経験を書いてみようと思います。

■ひらがなの「あ」からつまずく

 息子の幼稚園を探し始めた頃の一番の目標は「歩くこと」でした。独歩ができなければ、通常学級での受け入れが難しいだけでなく、息子も楽しめないのではないか?と勝手に思っていたのです。リハビリの回数を増やし、家でもかなり無理をさせながら、必死に生活の中に「立つこと」を入れていたように思います。

 その後、何とか歩けるようになり、年中の二学期から幼稚園に入園すると、次に重要視したのは「字を書くこと」でした。小学校入学後に文字を書く場面は必須です。でも、空間認知の力が弱い息子は、字の練習を始めると、ひらがなの「あ」からつまずきました。

 入学後にはひらがなの他にカタカナや漢字も加わり、さらに学年が上がると校外学習で遠くへ出かけることになったり、運動会の種目が難化していったりし、「どうすればみんなから遅れをとらないか」ばかり考えていました。常に先回りをしてリスクを回避しようとしていたと思います。

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江利川ちひろ

江利川ちひろ

江利川ちひろ(えりかわ・ちひろ)/1975年生まれ。NPO法人かるがもCPキッズ(脳性まひの子どもとパパママの会)代表理事、ソーシャルワーカー。双子の姉妹と年子の弟の母。長女は重症心身障害児、長男は軽度肢体不自由児。2011年、長男を米国ハワイ州のプリスクールへ入園させたことがきっかけでインクルーシブ教育と家族支援の重要性を知り、大学でソーシャルワーク(社会福祉学)を学ぶ。

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不安から抜け出せた友人の一言