藤浪の近藤(左)と2年近く傘職人の業界を歩きまわり完成した助六の傘。色や柄の太さなど細かな注文が役者からでるが、見得をきったときなど風圧で壊れてしまうこともある消耗品でもある(撮影/門間新弥)
藤浪の近藤(左)と2年近く傘職人の業界を歩きまわり完成した助六の傘。色や柄の太さなど細かな注文が役者からでるが、見得をきったときなど風圧で壊れてしまうこともある消耗品でもある(撮影/門間新弥)

■職人の世界にはまり込み 「調べ過ぎだ」と上司の声

 13年前のこのおせっかいともいえる復元作業がきっかけでさまざまな道具が製作の危機に直面していることを知った。これら道具の支援活動を通して、伝統芸能を現代から未来にまで伝えていきたい。歌舞伎だけではなくあらゆる伝統芸能を下支えしている道具類の課題の調査、継承の研究、そして復元のためのネットワークを探ろうと「伝統芸能の道具ラボ」をたったひとりで立ち上げた。

「歌舞伎の小道具の職人さんたちは、いつもどうしたら役者さんが一番よく引き立つかを念頭に置いて誰もが黙々と伝統にのっとった仕事をしています。徹底した裏方なんです。私はこの職人さんたちを支えるさらなる裏方の仕事をしたいのです」

 田村は松竹の歌舞伎公式ウェブサイト「歌舞伎美人(かぶきびと)」で、4年間歌舞伎の裏方である小道具とその職人たちを、毎日のように取材し執筆してきた実績がある。自分のラボを立ち上げてからは、伝統芸能を裏で支える道具の職人たちに「なにか困っていることはないですか」と声をかけるのも仕事になった。

 職人たちは押しなべて口が重い。昔ながらの複雑な徒弟制度もまだ生きている。一朝一夕に今抱えている課題など軽々しく答えるわけがない。

「用がなくても何回も足を運んで顔を出しました。そうするうちに少しずつ信頼してくださって、ポツリポツリと話してくれる。そうでなければ困っていることなど、そう簡単には聞き出せません」

 田村は歌舞伎の裏方の職人たちの年表をこっそりと作っていった。重い口を開いて誕生年と入門年くらいしか答えてくれないのを、あとからゆっくりと埋めていくためだ。その時製作していた小道具の演目は何で、役者は誰だったのか。その役者の年表を添えて世相まで書きこんでいく。この年表をもとにさらに深い話を引き出していこうというのだ。どんなインタビューにも通ずるテクニックみたいな話でもあるが、とにかくもの作りの現場の職人が大好きなのである。

 かつて編集プロダクションでライターをやっていた時代、町の職人探訪の連載ですっかり職人の世界にはまり込んだことがあった。豆腐屋から金型屋まで徹底的に調べ尽くす。机上は資料と文献の山となり「調べ過ぎだ」「そろそろ書いたらどうだ」という上司の声がいつも飛んできた。

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