「音楽にすがったあの頃の自分へ」 福山雅治が30年歌い続けて気づいた“あること”とは? (1/2) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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「音楽にすがったあの頃の自分へ」 福山雅治が30年歌い続けて気づいた“あること”とは?

澤田憲AERA
シンガー・ソングライター、俳優 福山雅治(撮影/浜野カズシ)

シンガー・ソングライター、俳優 福山雅治(撮影/浜野カズシ)

 シンガー・ソングライターとして活躍する福山雅治さんが、今年でデビュー30周年を迎えた。6年8カ月に発売したアルバム「AKIRA」に収録された「革命」では「なんのためにこの時代に生まれ来たのか」と歌う。表現とは何か? の問いに真摯に向き合い続けた福山さんが、AERA 2020年12月14日号に掲載された記事で、デビューから現在までを振り返る。

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——「音楽で生きていきたい」。33年前、18歳の福山雅治は決意した。誰にも相談しなかった。音楽だけで生計を立てている人なんて周りにはいなかったし、自信もなかったから。母親を安心させるために勤めた会社を5カ月で辞め、故郷・長崎を後にした。

福山雅治(以下、福山):高校時代からコピーバンドを組んで歌ってはいたんです。歌詞ならSIONさんや浜田省吾さん、長渕剛さん、楽曲ならTHE MODSやARBのようなビートロックのバンドに影響を受けました。憧れた表現者はみんな、地方出身者でした。地方で生まれ、鬱屈したものを抱えていて、ここではないどこかへ行かなきゃ何も変わらないと感じている。自分は何者なのか、それを確かめるために都会に向かう。長崎にいたときの自分も同じ気持ちでした。

——表現することをどうしようもなく諦められず、「古着屋をやりたい」と嘘をついて上京。芸能事務所に入り、1990年3月、「追憶の雨の中」で念願の歌手デビューを果たす。だが、商業的には振るわなかった。

福山:全てにおいてずぶの素人だったんです。モノ造りとか表現するということがまるでわかっていなかった。いまとなっては「アホだなあ」と思いますが、当時の僕は「やればできるでしょ!」ぐらいにしか考えていませんでした。でも僕は、アホなのと同じくらい臆病だったんです。だんだんと己の非力に気づいていくわけです。音楽をやりたいと言って事務所に拾ってもらったのに、自作の曲をこれまで一曲も作ったことがなかった(苦笑)。これはまずい、でも引き返せない、やるしかない、という感じで。とにかく一曲でも多く作ることで、稚拙な技術を向上させていくしかないと思っていました。


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