「これほど巨大なポップアイコンが、自分の人生の闇の部分をこんなに赤裸々に表現するなんて、そうあることじゃない。モノマネをして安っぽい伝記映画みたいにはしたくなかった」(エジャトン)

「エルトンに似ているかどうかは二の次」で、エルトンの「心」を演じきろうとし、「人生の中でも特別な作品になった」という。

 モノマネや時系列重視の伝記スタイルをあえて避けたのは、大ヒット作「ボヘミアン・ラプソディ」の最終監督を務め、本作が監督としては3本目の音楽映画となるデクスター・フレッチャー監督の選択でもあった。

「エルトン・ジョンというと、ド派手な衣装の道化師みたいなイメージが流通しているけど、そういう表層だけで勝負したくなかった。僕たちが追求したのは、もっともっと深いレベルでの人間理解だった」(フレッチャー監督)

「ロケットマン」は一見すると躁状態と思えるほど、にぎやかでスピード感のあるポップミュージカルだ。だが、フレッチャー監督の言葉どおり、その背景には多くの裏テーマが潜んでいる。

「現代的な問題がたくさん出てくるよね。親や家族との関係、メンタルヘルス、セクシュアリティー……。ひとごとじゃないと思う人も多いと思う」(同)

 全編を貫く大きなテーマが親子関係だ。エルトン・ジョンは、両親からの愛情を感じられずに育ったからだ。

「複雑な親子関係だよね。映画では描ききれなかったけれど、エルトンの母親は若いときにずっと年上の相手(エルトンの父親)と出会って、愛のない結婚をしてしまった。50年代のイギリスでは、女性はクレジットカードも持てないし、住宅ローンも組めない。不幸な結婚から抜け出せなくなってしまったんだよ。映画でのあの姿は、そういう背景があってのことなんだ」(同)

「父親も感情を見せるのは弱さと考える世代の人だしね。子どもをハグするなんて、軟弱だと思っている。まさにあの世代に典型的だと思う」(エジャトン)

 だが、両親を「絵に描いたような悪人」として描きたくなかった、と監督は言う。

「この世に一面的な、単純な悪人なんていないよ。僕らはみんな、与えられた人間関係の波の中を、何とか航海しながら生きていかなきゃいけないんだ」

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