本作にはエルトンの孤独を語るエピソードが詰め込まれている。だがそこに被害者意識や自己憐憫はかけらもない。これも製作総指揮を務めたエルトン・ジョン自身をはじめ、制作陣の一致した姿勢だった。

「エルトンを被害者として描かないよう気をつけた。親との関係を見つめ直し、再生していく物語のなかで、“自分は過去の犠牲者ではない。自分の運命の手綱は自分が握っているんだ”という自覚に目覚めるまでが、一つの大きなステップなんだ」(フレッチャー監督)

 エルトン・ジョンは「自分の神格化を避けてほしい」と注文したともいう。

「そうは言っても」と監督は笑う。「エルトン自身が、一緒にいるだけですごく啓発される、人間として大きい、すごい人なんだよね。エルトンの作品は明るい曲でもどこか影があって、いびつだ。それは子ども時代の体験が関係していると思う。逆に暗い歌には希望があって、そこにみんなは感動する。この映画はエルトン・ジョンという巨大な伝説を祝福するものになったと思う」

 フレッチャー監督は本作を「(苦難を乗り越えた)サバイバーの物語」と呼んでいる。エルトン・ジョン自身は「救済の物語」と呼び、カンヌ国際映画祭で次のように語った。

「この映画のメッセージは、いまアンハッピーだと思っている人は、とにかく誰かに助けを求めてほしいということ。助けを求めるのは勇気がいる。でも救いは必ず訪れる。僕はそのおかげで朝起きたときに、『今日が始まらなければいいのに』なんて思うことはもうなくなった」

 誰かに助けを求めることは弱さではなく、むしろ強さの証しだ、映画を通じてそう訴えたかったというのだ。

「ロケットマン」は本企画と運命的な出会いをした制作陣による、渾身の、そして幸運な作品である。同時に、自己の再生物語を見事なエンターテインメント作品に昇華してしまったという意味で、希代のパフォーマーにしてエンターテイナーとしてのエルトン・ジョンの鬼才をあらためて認識させる作品にもなった。(ライター・鈴木あずき)

※主演のTaron Egertonについて、日本では「タロン・エガートン」の表記が多く使われていますが、本誌では本人発音に近い「タロン・エジャトン」と表記しています

AERA 2019年9月9日号