だったら言わせていただくが、その「便利」がわからないというのだ。「好き」と「便利」がどうにも結びつかない。「好き」という感情を小分けにして、モヤモヤとしたものを心に抱えないようにしているのか? 「好き」未満のモヤモヤを「惚(ほ)れ」にまで集約していくからこそ素晴らしいのじゃないのか? というか、「推し」に塗して自分アピールの道具にしてやしないか? 「好き」は不便なままの方が良くないか?と疑問が次々と浮かんできてしまう。
ひとつに、「好き」をデフレ化させて軽くしようとしていることは理解できる。現代はストレス社会である。ただでさえ心に負荷がかかるならば、量的な負担を少しでも減らそうとするのはわかるのだ。でも「好き」をサボったらダメだろう。そりゃ賢い知恵だとも思う。「好き」1点より、「本気」「推し」「見せ好き」ぐらいの3点で支えた方が心が壊れなくて済む。でも「好き」というのは質的な問題なのだ。その業に向き合った分だけ絶対に学べる。それは男女のことだけに限ったことじゃない。
ちなみに今私推しのグラビアアイドルは小倉優香ちゃんですが何か?
※AERA 2018年12月10日号