小説の究極形態? 新進気鋭の二人の歌人が“短歌で”描いた男子高校生の日々 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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小説の究極形態? 新進気鋭の二人の歌人が“短歌で”描いた男子高校生の日々

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2人の歌人が短歌によってつづった小説の魅力(※写真はイメージ)

2人の歌人が短歌によってつづった小説の魅力(※写真はイメージ)

『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』(木下龍也、岡野大嗣著)は、 2人の歌人が短歌によってつづった一冊の小説だ。三省堂書店・新井見枝香さんは、同著の魅力を次のように寄せる。

*  *  *
〈瓶ラムネ割って密かに手に入れた夏のすべてをつかさどる玉〉。まるで言葉の美味なるところを煮詰めて、鍋底にコロンと残った結晶のような短歌だ。本書は岡野大嗣と木下龍也が短歌で男子高校生2人の物語を紡いでいく。さらに小説家の舞城王太郎による掌編が挟み込まれており、これが女子高校生の視点なのだ。きっと同じクラスの。

 どちらの短歌かは、書き出しの位置で区別されているが、読むうちに自然とわかるようになるのも、また楽しい。〈夕映えのペットボトルのサイダーをあなたの喉がぶつ切りにする〉。瓶ラムネにサイダー。同じ夏を感じさせる飲み物でも、それぞれの個性がスパークしている。〈わりばしでアイスコーヒーかきまぜて映画になれば省かれるくだり〉〈口だけの生物になり石段の途中で飲み尽くすスプライト〉。小説の究極形態か。

AERA 2018年3月12日号


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