辻元清美(つじもと・きよみ)/1960年生まれ。学生時代に国際交流団体ピースボートを創設。96年に社民党から衆議院議員に初当選。2011年に民主党(当時)に(撮影/写真部・片山菜緒子)
辻元清美(つじもと・きよみ)/1960年生まれ。学生時代に国際交流団体ピースボートを創設。96年に社民党から衆議院議員に初当選。2011年に民主党(当時)に(撮影/写真部・片山菜緒子)

「どうしてそこまで怒るの?」「そこまで言わなくてもいいのに」――。このところ、イライラする人や罵詈雑言を目にする機会が多いとは思いませんか? あそこでもここにもいる「感情決壊」する人々。なぜ私たちはかくも怒りに振りまわれるようになったのか。それにはちゃんと理由がありました。アエラ9月11日号では「炎上人(えんじょうびと)の感情決壊」を大特集。怒りの謎に迫ります。

 政治家や野球選手、芸人──。かつては感情にまかせて怒ったこともあったけど、過去を静かに反省し、「怒り」から学んだことを達人たちに聞いた。今回は、政治家の辻元清美です。

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 意外かもしれませんが、元来あまり怒らない性質なんです。ただ、子どもの頃から譲れないことがあって、そこに触れると、爆発的に怒っていました。

 5歳の時、銭湯で在日韓国人の子に差別的なことを言ったおばちゃんに、頭から水をかけにいったそうです。「差別はいかん。人間みんな平等やんか!」

 在日韓国人や被差別部落の人たちへの差別を見てきたこと。父方の祖父が戦死し、経済的に苦しい環境で育ったこと。美容師だった母が、「女も自立せないかん、世の中を変えなきゃいかん」と言っていたこと。そんな経験が、今も大切にしている、男女平等、憲法9条を守る、格差をなくしたいという思いに結びついています。私を昔から知る友人たちは、「清美は子どもの頃から変わらないね」と言います。

 以前は、感情にまかせて怒っていたかもしれません。集団的自衛権問題で小泉元総理に「総理! 総理!」と呼びかけた時も、鈴木宗男さんとの対決も、怒りを120%の力で相手にぶつけ、攻撃していました。

●共感を広げないと

 権力に立ち向かう姿に喝采を送ってくれる国民もいて、爽快感もありましたが、政治家としては、未熟でしたね。「私の考えが正義」が先に立ち、独りよがりだったかもしれません。

 転機は、2002年の議員辞職でした。どん底まで落ちて、もう二度と社会に出られないと思っていました。けれど、もう一度応援してくれる人たちの声に触れ、つらい思いをしている人や声をあげられない人の声を伝えていこうと決意を新たにしたんです。

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