1984年に始まった市の新都市開発事業は宅地の造成・分譲などは順調に進む一方、高等教育施設用地への大学誘致は難航し、加計学園の登場は渡りに船でもあったという。越智氏が続ける。

「数十年定員が変わらず、志望倍率も20~30倍と高止まりな獣医学部なら、学生集めに苦労しないだろうという経営判断だったのでしょう。でも学校の所管は文部科学省で、獣医師なら農林水産省の案件。タライ回しの門前払いでした」

 そこで目をつけたのが構造改革特区。「四国初の獣医学部を誘致する」として07年から愛媛県と共同で特区申請を始めた。だが、日本獣医師会など獣医関係者が新設に反対し続けた。越智氏は元文部官僚の加戸守行愛媛県知事(当時)の紹介で、「獣医師問題議員連盟」最高顧問だった森喜朗元首相にも陳情したが、奏功しなかった。

 一方で、加計学園サイドは用地とは別に費用負担を持ちかけてきた。その額100億円。施設の建設費や医療機器の整備のためとのことだった。

「今治市は合併したばかりで大変な負債を抱えていたので、そこは何とかまけてもらえませんかと(笑)。具体的な金額までは出なかったけど、2~3割は減額できそうな感触を得たので、愛媛県にも地元負担は70億~80億円で進めますよと話をしました」(越智氏)

 再選を果たせなかった越智氏から現職の菅良二市長に代わっても特区申請は敗れ続けた。14年11月までに計15回提案して全敗。しかし、その半年後に国家戦略特区の「国際水準の獣医学教育特区」が提案されて閣議決定されると、あっという間に52年ぶりに獣医学部が開設されることが決まった。

「しかもリースだったはずの土地もタダで譲渡し、それを担保に建設費や運営資金を銀行から借りて進めるというからびっくりです。当時の市の幹部に聞いても『いつ変わったんじゃろうか』とクビをひねっとるし、何か裏事情があるとしか思えませんね」(今治市・越智郡選出の村上要県議=社民)

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