先祖代々の墓を持つ意識が薄れる中、身近な人が亡くなった喪失感を埋めるため、遺骨や遺灰をそばに置いて供養する人が増えている。
吸い込まれそうな輝きをまとった真珠。実はこれ、遺骨でつくった養殖真珠だ。
「核となる玉の素材が違うだけで、一般の養殖真珠と同じ過程で形成されます」
と、日本初となる遺骨真珠を考案したアッシュオン(名古屋市)社長の田中英樹さんは言う。
同社は、真珠の養殖が盛んな三重県志摩市の英虞湾などの沖合で海洋散骨を手掛けている。そもそも養殖真珠は、貝から作った「核」を「母貝」となるアコヤガイなどの貝に入れ、湾内の養殖いかだで育てると美しい光沢をもつ真珠層ができる。あるとき、田中さんは「核」を遺骨で作れば、真珠ができるのではとひらめいた。
しかし材料となる遺骨がない。そこで保管していた自分の亡き父の遺骨を使うことにした。核を丸くするなど技術面で試行錯誤を繰り返し、1年近くかけ商品化にこぎつけた。完成した真珠は「いのりのしんじゅ」と命名し、6月から販売を開始した。
●色は骨によって異なる
必要な遺骨は30グラム程度。それを砕いて粘土に混ぜ直径7ミリほどの核を90個近く作り、5月から6月にかけ母貝に入れる。そして、志摩の海で半年近くかけ養殖すると、核を取り巻く真珠層が形成される。
きれいな真珠になるのは1割程度だ。しかも、自然の産物である真珠の色や形は、母貝や水温といった自然条件や、骨によって異なってくるという。
「変形した真珠も、受けとめて手元に置いて供養していただきたい」(田中さん)
故人の遺骨や遺灰をそばに置いて供養することは、古くから行われてきた。それが「手元供養」として広く知られるようになったのは2000年ごろ。今では癒やしの一つの形として定着しつつある。
葬祭業界大手のメモリアルアートの大野屋(東京都)では、05年から手元供養の関連商品を展開。10年からは「ソウルジュエリーシリーズ」としてブランド展開を開始している。販売は好調で、10年以降の販売個数は前年比2ケタの伸び率だ。
手元供養が静かなブームになっている背景を、同社広報室の上原ちひろさんはこう見る。
「核家族が当たり前になり先祖供養に対する考えが薄れる中、身近な人が亡くなった寂しさや喪失感を埋めてくれるものが求められ、そばに置いて自分の気持ちに寄り添う手元供養を選ぶ人が増えていると思います」
同社はペンダント類やミニ骨壺など300アイテム近くを扱う。一番人気は2万円の「オープンハート」のシルバーネックレスで、ペンダントトップの裏側を付属品の専用ネジで開閉して遺灰を納められるようになっている。
同社では、お墓の販売、葬式、仏壇を3本柱に据え事業展開を行っているが、手元供養を4本目の柱にするべく力を入れているという。
●遺影より故人が身近に
5兆円ともいわれるエンディング産業。ただ、手元供養はまだまだ新興のニッチな産業のため市場規模などの統計はない。だが、人生を終えることへの関心の高まりなどで、今後も市場は拡大していくという見方は強い。それにあわせ、異業種から新規参入する会社も増えてきた。
故人をフィギュアに──。
大阪市にある「ロイスエンタテインメント」が手掛けるのは、「遺影」ならぬ「遺人形」だ。