「朝の時間帯ならば、高いビルや街路樹が日陰をつくってくれます。ビル風がタイムに影響する可能性もありますが、夏場の暑い時期ならば、その風も選手たちにとって心地よい」

 林立するオフィスビルは会社員の出勤時間に合わせて空調を稼働させる。その排気熱が気温を上昇させるため、都市部では夕刻も気温が下がりにくくなる。アテネのように夕方スタートではなく、早朝スタートが予想されるのは、そのためだ。

 意外にも、下見を行ったなかで最も体感温度が高かったのは、緑豊かな皇居周辺だった。周囲に高層ビルがないため、日陰になるエリアがない。その日も熱心な“皇居ランナー”たちが汗を流していたが、金氏は「かえって体を壊しかねない」と不安を漏らすほどだった。

 実は、マラソンランナーは暑さに弱いとされる。暑さが及ぼす身体的負担の大きさに配慮して、主要な国際大会は真夏を避けて開催されている。おのずと選手たちは、夏場も気温の上では負担の小さい高原などで走り込むため、暑さへの耐性が低いのだ。それは、アフリカのトップ選手なども同様だ。

「アベベ選手などの一流アスリートを生み出したエチオピアは首都アディスアベバも標高2400メートル。暑さに強そうなイメージがありますが、実際には夏場の平均気温も、日本よりずっと低い」(金氏)

 では、いかにして暑さを克服すればいいのか? 炎天下でのトレーニングは逆効果だという。「アテネで金をとった野口は直前まで涼しいヨーロッパで練習を積みましたが、5位に終わった土佐礼子は暑さに慣れるために沖縄で合宿を行っていた。さらに1984年のロス五輪でも、宗兄弟は北海道で練習を積んで弟の猛選手が4位に入りましたが、瀬古利彦さんは炎天下の東京・神宮外苑で40キロ走を繰り返して体調を崩し、血尿まで出した結果、14位に終わりました」

●冷えたドリンク不可欠

 金氏曰く、「暑さに慣れるよりも、経験することが重要」。本番の1、2年前に日本国内で唯一真夏に開催される北海道マラソンを経験しておく程度でいいという。本番当日は給水もレースを左右する可能性がある。

「猛暑の中のアテネ五輪で野口は給水ボトルに“魔法瓶”を使って冷たいドリンクと水を確保しました。後に魔法瓶の使用は禁止されましたが、東京五輪では冷えた状態のドリンクを手渡せる態勢づくりが不可欠になってくるでしょう」

 このほかにも、東京五輪に向けて運営側に求められる暑さ対策は数多い。一般に5キロおきの給水がルール化されているが、さらに給水ポイントを増やすことも検討するべきだろう。コースの随所にミストシャワーを設置するといった対策も必要だ。現在検討されている路面温度を低減する遮熱舗装は早急に進めたい。ただし、暑さは日本人選手に有利に働く可能性があることも付け加えておきたい。

「日本の気候に不慣れな外国人選手に対してアドバンテージがあるのは間違いありません。地の利もある。コースを見る限り、最大の難所はゴール数キロ手前の四ツ谷周辺の上り坂。この付近までトップ集団にいられれば、メダルは濃厚です」(金氏)

 棄権者が続出しないことを祈りつつ、日本のメダルに期待したい。(ジャーナリスト・田茂井治)

AERA 2016年8月1日号