

城倉:創刊時の1922年は大正デモクラシーの時代です。当時は「1週間」という生活リズムが確立していなかったようで週刊誌は新しいメディアだった。だから週刊朝日やサンデー毎日が1週間単位で生活するよう社会を変えた可能性もありますよね(笑)。今で言えばSNSのツイッターが始まったのと同じ感覚なんじゃないかな。
渡部:それはすごく思いますね。
城倉:「おもしろくて、役に立つ」をモットーに、サンデー毎日は創刊号を34万部刷っているんですよ。ただ3割は無料で配っていたということで、実際は23万部くらいだったらしい。
渡部:週刊朝日は、最初は「エコノミスト」みたいなものを創りたいといっていたのに、結局、日曜日に家庭の主婦に読まれるサンデー毎日の路線を踏襲するという作戦に移行していくわけです。
城倉:「硬派の週朝」「軟派のサンデー」と言われていたようですが、お互いに大衆路線になっていった。
渡部:週刊朝日はすぐまねするんです。連綿と続くパクリの歴史です(笑)。
■記憶に残るスクープ・連載

渡部:サンデー毎日というと一本筋の通ったスクープの印象です。
城倉:先ほど話した宇野スキャンダルはサンデー毎日のスクープで「『月三〇万円』で買われたOLの告発」と題する記事でした。ちなみに、その年の新語・流行語大賞の新語部門金賞は「セクシャル・ハラスメント」でした。総理大臣がそういうことをやっていていいんですかという問題提起が報道の目的だったのですが、当時は「何が悪いんだ」という電話が3分の1くらいあって、かなり反感もありました。
渡部:政治家の愛人問題に切り込んだのは初めてですよね。それまではやっちゃダメという暗黙の了解のようなものがありました。
城倉:今から考えると象徴的な事件だったかもしれませんね。週刊朝日のスクープで言えば2007年の関西テレビの「発掘!あるある大事典II」での納豆ダイエット。あれも印象的でした。あとオウム真理教の村井秀夫刺殺事件の実行犯・徐裕行氏の衝撃インタビューもありましたね。あとは連載も息が長い。司馬遼太郎さんの「街道をゆく」や山藤章二さんの「ブラック・アングル」。週刊朝日は後ろから読むと言われるほど、人気連載でしたね。