岸部四郎のトーク力が覚醒した「シローコーナー」 楽器は下手だったと元メンバーが追想 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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岸部四郎のトーク力が覚醒した「シローコーナー」 楽器は下手だったと元メンバーが追想

太田サトル週刊朝日
岸部四郎さん(C)朝日新聞社

岸部四郎さん(C)朝日新聞社

 ザ・タイガースのメンバーの森本太郎さんは、岸部四郎さん(シロー)の兄・一徳さん(サリー)、瞳みのるさん(ピー)と同じ中学校に通っていた。

「サリーの家で会ったシローはおとなしくて、いつもラジオで洋楽を聴いていたイメージでしたね」

 のちに加橋かつみさん(トッポ)、そして沢田研二さん(ジュリー)が加わり、ザ・タイガースとして1967年にデビュー。トッポ脱退後、新メンバーとして白羽の矢が立ったのが、サリーの弟、シローだった。ただ、楽器はあまり得意ではなかった。

「はじめはタンバリンを持ってもらったのですが、ジュリーが持っているものと音がずれないように、シローのタンバリンはテープでとめて音が出ないようにしていました。ギターも構えてはいるものの、Fのコードだけをおさえたままだったみたいで、一番前のファンの方に、『Fだけ押さえてる!』と指摘されまして(笑)。それで他のコードも覚えたようです。ただ、歌に関しては、加橋と同じくらいの高音が出せたので、助かりました」

 岸部さんのトーク力は、タイガースに入って覚醒した。

「コンサートで、『シローコーナー』という、彼がしゃべるコーナーを設けたくらいで。まるで漫談聞いているようで、僕らも楽しみにしていました。最初おとなしかったのは、僕らに人見知りしてたのかもしれませんね(笑)」

 タイガース解散後、岸部さんは俳優、タレントとしてお茶の間の人気者となった。

「『西遊記』での京都弁の沙悟浄は、見事にハマっていましたね」

 ときにケチと言われることもあった岸部さんだが、そんなことはなかったと森本さんは言う。

「僕の方が3つ年上なのに、『タロー君』と呼ぶんですよ。彼はステーキが大好きで、よく『タロー君、ステーキ食べに行こうよ』と誘われました。毎回高級なステーキでしたが、僕は一回もお金を払ったことはありませんでした」

 岸部さんとの別れはやはり寂しいが、

「天国でもシロー節が炸裂しているんじゃないかなと思うんです」

 と森本さんは微笑む。

「先輩方もたくさんいるから、そういう人たちと、にぎやかにやってるんじゃないかな、と思います」

(本誌・太田サトル)

※週刊朝日1月1-8号の記事に加筆


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