タイガースに加入した際の印象は、
「王子様的な他のメンバーとはまた違い、隣にいそうな、まん丸眼鏡の近所の兄ちゃんといった雰囲気がありました」(竹内さん)
「西遊記」のケチで理屈ぽい、沙悟浄そのままのイメージもある岸部さんだが、
「お話しされる8~9割が愚痴でした」
と、竹内さんは語る。
「だけど、そこは生きるための知恵のようなもので満ちていて、エンターテインメント的な愚痴なんです。天性のものなのか、愚痴の一言一言はどこか上品で、名言に満ちていたような気がしました」(竹内さん)
岸部さんは「けち」のイメージを持たれることが多いが、決してそうではなかったと竹内さんは言う。
「80年代のタイガース再結成の際、曲やCMがヒットしたことで、かなりのお金を岸部さんももらったそうなのですが、それを祇園でお大尽遊びをして使いきったとか、豪放磊落(らいらく)な面もあったようです」
前出の夏木さんも、こう言う。
「ちまたでは“しぶちん”と言われることもありましたが、私は何度もごちそうしていただきました」
岸部さんは、2000年代の前半から体調を崩し、メディアへの露出も減少していたが、12年には沢田研二さんの武道館コンサートに、タイガースメンバーとして車椅子姿で登場。ビージーズの名曲「若葉のころ」を歌った。竹内さんも、体調を崩してから会う機会は減ったという。
「07年に、常に一緒に行動していた奥さんを亡くしてからガタッときた印象があります」
ザ・タイガースの元メンバー、“タロー”こと森本太郎さんは、自身のブログを更新。
<四郎が話すと何でも面白くて感心した>
<透き通るような歌声にタイガースのメンバー全員が驚いたと思う>
と思い出を振り返った。
ブログでは前出の武道館公演を含め、体調を崩してから3回共演したと書かれている。
<具合が悪くなってもやっぱり四郎は最後までステージに立って歌いたかったんだな>
ザ・タイガース解散前のラストシングルのB面は、森本さんが作曲し、岸部さんがリードボーカルをつとめた。