「当時、今のように淡路島には明石海峡大橋はありません。もちろん、映画館もなかった。そこで、赤い谷間の決闘が封切になると、みっちゃんは、淡路島の対岸、明石の映画館にわざわざ舞台挨拶にきてくれたのです。当時、石原裕次郎さんの下、売り出し中で、スターの座を駆け上がろうという時期でした。みっちゃんから連絡があって、私と弟や地元の幼なじみが船に乗って映画館に駆け付けると『淡路島の目の前だし、ちょうどいいなと思って』とみっちゃんは話していた。故郷をとても大事にしてくれていました」(同前)

 そして、淡路島の「絵島」という小さな島の浜辺で撮影した写真がある。渡さんを真ん中にして左に吉田さん、その後ろには渡瀬恒彦さんも写っている。

「この写真を撮ったのは昭和40年半ばぐらいくらいかな?この頃はみっちゃんも恒彦も映画にいくつも出演、人気も急上昇。それでも、毎年のように淡路島へ戻って来て、幼なじみ、竹馬の友と旧交を温める。今から30年ぐらい前の夏に墓参にきた時、船で淡路島を離れようとすると、波止場で、子供たちが手を振って走ってきた。するとみっちゃんは船を波止場に戻して、子供たちと握手してくれました」(同前)

 吉田さんの弟、保男さんの妻、廣田克子さん(70)はこんなエピソードを教えてくれた。船乗りだった保男さんはある時、横浜港に船が接岸した。岸壁に降りると人だかりになっており、何事かと見ると、偶然、渡さんがロケで撮影をしていたという。

「終わるのを待って、渡さんに声をかけると『やっちゃんやないか』と渡さんが抱き着いてきてくれたそうです。その頃、渡さんはもう大スターになっていたが、『みっちゃんは、どんなに有名になっても謙虚で、偉ぶることもなかった。だから大スターになれた』と渡さんの出ているテレビをみながら、夫がよく話していました」

 こう語る克子さんは地元で市議を務めていたこともある。渡さん、渡瀬恒彦さん兄弟の故郷とあって、「記念館の建設を」という地元の声があるという。

「渡さん、渡瀬恒彦さんは、まさに淡路島が生んだ誇るべき大スター。記念館ができればと願ってやみません」(克子さん)

(今西憲之)
※週刊朝日オンライン限定記事

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今西憲之

今西憲之

大阪府生まれのジャーナリスト。大阪を拠点に週刊誌や月刊誌の取材を手がける。「週刊朝日」記者歴は30年以上。政治、社会などを中心にジャンルを問わず広くニュースを発信する。

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