妻・恭子さんが語る大林宣彦監督と歩んだ60年と遺作「海辺の映画館―キネマの玉手箱」 (1/4) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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妻・恭子さんが語る大林宣彦監督と歩んだ60年と遺作「海辺の映画館―キネマの玉手箱」

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坂口さゆり週刊朝日
大林監督と写した、妻・恭子さんお気に入りのツーショット(C)PSC

大林監督と写した、妻・恭子さんお気に入りのツーショット(C)PSC

 大林宣彦監督の遺作「海辺の映画館―キネマの玉手箱」が公開され、話題を呼んでいる。日本映画の可能性を広げてきた作品の数々はどのように生まれてきたのか。大林映画のプロデューサーを務める妻・大林恭子さんに聞いた。

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 監督とはプライベートフィルムを作り始めた大学4年生くらいの時からアイデアを出し合っていました。当時からあふれる才能を持っていました。私はそこに引かれて、ずっと一緒にいられたのでしょうね。

 大林映画のプロデューサーとしてクレジットされたのは、「転校生」の時からです。監督には毎回、脚本を読んで今回はここに予算をかける、と決めて宣言するんです。私の言うことを聞いてはくれるんですが、結局は自分のやりたいことをやってしまうのです(笑)。ただ、「海辺の映画館」ばかりは私は何も言えませんでした。「これが最後かな」という思いがあったからかもしれません。自由にやらせてあげたい、と決めていました。

 私が監督に意見を言うことはありませんでした。彼はけなしちゃうとダメなんです。男の人ってそういうところがあるでしょう? 特に監督はそうですね。褒められるとすごく乗ってしまうタチ。そういう子どもみたいなところがある人です。

 私たちはけんかというけんかをしたことがありません。出掛けにちょっと口げんかみたいなことになったとするでしょ。そうすると、一度家を出て、その辺まで行って帰ってくるんです。「ごめんね」と謝ってまた出ていく。そのまま出掛けて事故か何かに遭ったら二人とも後悔すると思ったんだと思います。

 だから大林が怒っている姿を見たのは、「海辺の映画館」の撮影中がほぼ初めて。この映画は途中で一度企画がポシャってしまい、スタッフはほぼ全員初めて組んだ方たち。そのため演出部も制作部もいつものように自分の思いが伝わらない。怒っているのは皆さんに対してではなく、自分に対してなんですよ。もう大きな声で指示できない。歩くこと、走ることができませんでしたから。自分で伝えられないことがもどかしかったんです。だから最後はいつも皆さんに「ごめんなさい」と謝っていました。完成した時は感謝ばかりでしたね。


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