樋田被告の逃走劇には4万2千人の警官が動員された(C)朝日新聞社
樋田被告の逃走劇には4万2千人の警官が動員された(C)朝日新聞社

 2018年に大阪府警富田林署から逃走し、各地で盗みを繰り返したとして、加重逃走や窃盗などの罪に問われた樋田淳也被告(32)に対し、大阪地裁堺支部は7月3日、懲役17年の実刑判決を言い渡した。

 同年8月12日夜、富田林署で勾留中、面会室で弁護士と接見後、仕切り板を壊して外へと逃走。兵庫県、香川県、愛媛県と逃げ回り、49日後に山口県で逮捕された樋田被告。加重逃走罪や、強盗致傷罪などに問われていた。本誌は拘置所にいる樋田被告と手紙を交わした。当時の心境をこう綴っている。

「富田林署から逃走してすぐに後悔していました。しかし、戻る勇気もなく逃げ続けて、多くの人に迷惑をかけてしました」

 逃亡を続けた理由についてはこう記している。

「裁判で大阪府警が証拠を得るために、違法な捜査をしていたことが明らかになった。私の自宅近くであった大阪府松原市周辺のひったくり、わいせつ事件など未解決のものがなんでもかんでも、樋田が犯人だというめちゃくちゃな捜査に絶望感がありました。計画などはなく、衝動的にかられて、逃げました」

 なぜ、樋田被告は49日間も逃げることができたのか。その理由は裁判の過程で判明した。

 当時、富田林署の留置管理担当で、樋田被告が逃走した日を担当していたH警官の供述調書には次のように記されていた。

 H警官は8月12日夜9時40分ごろ、面会室を見に行った。

<弁護士もおらず樋田もいなかった。そして、アクリル板が窓枠から外れており、左側の10cmほどの隙間がありました。私はその光景に驚きましたが、すぐに我に帰り、「逃げられた」と叫びました>

 樋田被告に逃走を許し、発見が遅れた理由はH警官の供述調書によれば禁止されている携帯電話を使用して、プロ野球の結果やアダルトサイトを閲覧していたためという。

<留置施設内の携帯電話を持ち込むことが禁止されているのは、わかっていたのですが、勤務は私一人で(留置場に収容されている)被留置者も消灯で就寝しているのでこっそりと持ち込んで使ってもバレないという考えでした>

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エロサイトを閲覧中だった警官