そして、無頓着な性格でいることです。「どうでもエエやんけ、それがどないしたんや」という暢気(のんき)さが必要です。関西人は口癖(くちぐせ)のように「しゃーないやんけ」と言ってすぐ諦めます。この諦めるということが大事です。「まあ、何とかなるでえ」という気持(きもち)が必要です。宿命とか運命は、それに逆らってがんばる人もいるけれど、「なるようにしかならへんで、それでええやんけ」という生き方ができる人は、知らず知らずの内に上手く運命に従って生きることのできる人です。ラテン系ですね。

 そんな生き方が寿命を延命し、健康な生活を送ることができるのです──とぼくは思っています。そして死ぬことがあると、それは寿命だと思うしかないのです。生きるということは、ある意味で諦めることでもあると思います。自分の欲望に振り廻(まわ)されない生き方ですね。お後は寂聴先生の面白い説法が始まります。よろしくお願いいたします。ハイ皆様、拍手!!

「ハイ、私、横尾さんの難聴じゃなく、寂聴です(笑)。横尾さんは聴くのが難しい、というより、人の言うことを聴かない人です(笑)。だから横尾さんの言うこと聴く必要ないです」

■瀬戸内寂聴「逃げずに好きなように生き、長命に」

 ヨコオさん

 年の瀬もせまってきて、また一つ歳をとりそうです。数えでいえば、今度の正月で、私は九十九歳になるんじゃなかったかな。

 ヨコオさんは私の長寿に何か秘密がありそうだといってたけれど、そんなもの何もないよ。ただ、ヨコオさんのいわれるように、私も好きなように生きてきたのが、一番長命の役にたっているのではないかしら。

 そのかわり、家庭をとび出したおかげで、さんざん、世の中からひどい目にもあわされたけれど、それは自業自得と割りきっていて、当然受ける罰だとすべて逃げずに受けてきたのが、薬になっていたのかもしれない。

 しかし、今ふりかえってみると、ひどい偏食で、栄養失調だった私が、二十の時、突然、新聞広告にうながされ、東京の女子大の寮を飛びだし、大阪の断食寮へ飛びこんで、四十日の完全断食をしたおかげだとしか考えられない。

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