これを転機として国家意識が高まった。律令制確立の第一歩となる飛鳥浄御原令編さんが始まった。天武朝は、日本独自の君主号「天皇」を強く意識した。また、災厄を退ける国家行事として「国の大祓(おおはらい)」の儀式などで朝廷の存在感を高めていく。

 では今回、徳仁天皇と皇后雅子さまは、何を行うのか。おふたりとも清浄を示す純白の装束に身を包む。陛下は、帛御袍(はくのごほう)と呼ばれる束帯姿。雅子さまも、白い十二単である帛御服(はくのごふく)を身に着ける。

 この布は、「生絹(すずし)」といい、特殊な糸と織り方で作られている。

「生絹とは、蚕からとったままの加工せず硬い状態の糸で作る布です。最もシンプルな平絹(へいけん)という織り方で、帛御服や御祭服(ごさいふく)に用いる布に仕立てます。質素であることが、大嘗祭の精神にかなうという考えからくるものです」(宮内庁関係者)

 悠紀殿供饌(きょうせん)の儀が始まると、徳仁天皇は、廻立殿(かいりゅうでん)で湯あみをし潔斎を済ませる。同時に、帛御袍から、神事服である御祭服に着替える。

 そして徳仁天皇は、悠紀殿・主基殿それぞれで神事を行うのだ。本殿に入るのは、天皇と食事の世話をする女官の陪膳・後取の采女(うねめ)の3人だけ。皇太子(皇嗣)や皇后も儀式を目にすることはできず、「秘儀」と言われるゆえんだ。

 皇后である雅子さまは、帳殿で拝礼を行ったのち廻立殿に戻る。ほかの皇族も、小忌幄舎(おみあくしゃ)と殿外(でんがい)小忌幄舎に参列して待つことになる。

 天皇が本殿で、どのような儀式に臨むのか。その内容は、『延喜式』など文献の記録から推測できる。

 建物のなかには、神のための布団と枕や靴、服が置かれた寝座が設けられる。 横には、神がすわるための神座と、伊勢神宮の方角を向くように敷かれた天皇がすわるための御座。神座には、全国から献上された五穀や白酒、黒酒、調理した料理など神のための「神饌(しんせん)」が供えられている。

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