こうした点について、昨年11月、秋篠宮さまは誕生日を前にした会見で、「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか。私はやはり内廷会計で行うべきだと思っています」などとして、皇室の「私費」にあたる「内廷費」で賄うべきだとの考えを示した。

 上の図は、国学院大の笹生衛教授(日本考古学)が、平城宮の発掘跡から復元した大嘗宮の推定図だ。現在よりも小規模で質素な造りである。

 1467年からの応仁の乱の混乱によって中断し、江戸中期の再興まで約220年間空白だった時期すらある。江戸後期の朝廷は、財政も苦しく、内裏の庭に悠紀殿、主基殿と、神饌を調理する膳屋(かしわや)が一棟だけのときもあった。

 明治に入り、近代国家として天皇の権威を示すために、大正天皇の大嘗祭から、より大規模になったのだ。

 前出の宮内庁関係者は語る。

「皇嗣である秋篠宮さまが代替わりなさるときは、また変化が起こるかもしれませんね」

(本誌・永井貴子)

週刊朝日  2019年11月22日号