鴻上尚史(こうかみ・しょうじ)さん/1958年、愛媛県生まれ。作家・演出家。新作音楽劇「ローリング・ソング」(8月11日~9月2日)を紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAにて上演。福岡・大阪公演もあり(撮影/写真部・小原雄輝)
鴻上尚史(こうかみ・しょうじ)さん/1958年、愛媛県生まれ。作家・演出家。新作音楽劇「ローリング・ソング」(8月11日~9月2日)を紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAにて上演。福岡・大阪公演もあり(撮影/写真部・小原雄輝)
吉田 裕(よしだ・ゆたか)さん/1954年、埼玉県生まれ。一橋大学大学院社会学研究科特任教授、専攻・日本近現代軍事史、日本近現代政治史。著書に『昭和天皇の終戦史』『兵士たちの戦後史』など(撮影/写真部・小原雄輝)
吉田 裕(よしだ・ゆたか)さん/1954年、埼玉県生まれ。一橋大学大学院社会学研究科特任教授、専攻・日本近現代軍事史、日本近現代政治史。著書に『昭和天皇の終戦史』『兵士たちの戦後史』など(撮影/写真部・小原雄輝)

 版を重ねて18万部を突破した『不死身の特攻兵』の著者で作家の鴻上尚史さんと、13万部を数える『日本軍兵士』を著した吉田裕さんが、特攻隊関連の本が読まれる理由や、特攻隊の理不尽さについて語り合った。

【写真】13万部を数える『日本軍兵士』を著した吉田裕さん

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鴻上:僕の『不死身の特攻兵』は、まずサラリーマンが手にとり、次に「PTAと似たものを感じる」という口コミで若いママさんたちに広まり、10万部を超えたあたりからはツイッターに日の丸のアイコンをつけた人たちも読み始めた。感想で共通するのは「こんな上官はたまったもんじゃない」という。

吉田:たしかに特攻には理不尽なことが多い。

鴻上:僕がインタビューした佐々木友次さんたちは、陸軍の特攻でありながら、正式な隊名を名乗れなかったというんですよね。

吉田:正式に部隊を編成するとなると、天皇の裁可が必要になる。責任が天皇に及ばないように「リーダーをもった憂国の同志集団」ということにしたんですよね。陸軍の場合。

鴻上:日大のアメフト部とそっくりで。加害者となった宮川泰介選手が偉かったのは、堂々と記者会見して「コーチの指示があった」と言ったこと。相当の勇気がいったと思います。

吉田:正式の部隊編成という点では、陸軍と海軍では少し状況が違っていて、海軍は天皇の裁可した軍令で編成している。

鴻上:海軍と陸軍が同時期に特攻を考え、海軍の「神風(しんぷう)」が先行したんですね。

吉田:(最初の特攻遂行後に)天皇が「そのようにまでせねばならなかったか。しかしよくやった」と言ったと記録されています。

鴻上:戦後、あれは命令だったのか志願だったのかと議論され、命令した側は志願だと言ってきた。けれども、年数を経て「あのとき、あなた方は、行くのか行かないのかと怒鳴った。あれは命令以外の何物でもなかった」と現場を知る人たちが言うようになった。

 特攻の発案者とされる海軍の大西瀧治郎中将は「250キロ爆弾を抱えて突入するしかないと思うが、どうか?」という言い方でとめている。それを受け、軍の参謀たちが動くんですが、「どうか?」と言って人を動かす。日大アメフト部の監督が「指示はしていない」と主張したのと、怒りを通り越して笑うしかないくらい、似ている。

吉田:特攻では、人間魚雷の「回天」なども早くから考えられていた。しかし、軍の中枢がなぜ特攻に急速に傾いていったのかはまだ明らかにされていません。

鴻上:誰がというよりも、これしかないという空気ができあがっていったということなんでしょうか。

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