作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。今回は、先日話題になった「声かけ写真展」を取り上げた。

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 GW中に都内の施設で開催された「声かけ写真展」がネットを中心に問題になった。「声かけ写真」とは、男性カメラマンが街で少女たちに声をかけ撮った写真のこと。さすがに今の時代、街でオジサンが少女を堂々と撮影する光景は考えにくい。企画者のHPによれば、少女を撮影したのは30年ほど前。今回の写真展にあたり、撮影者数人が保管していた写真が公開された。

 じわじわと気味悪さが募る企画だ。性欲とは無関係、古き良き時代の一コマという体を装ってはいるが、実際に撮影された少女たちにとって、それがどんな体験だったかを考えると重たい。街ですれ違った大人に「写真撮らせて」と声をかけられ、瞬時に頭の中で危険信号がチカチカする緊張はどれほどのものだったろう。後になって「あれはおかしかった」と気がついた時の悔しさは、どれほどのものだろう。

 今回のことを受けて「子供の時、オジサンに声をかけられた」という女たちの声が多くあがった。“それ”はたいてい一人の時、運動会でブルマーをはいている時、大人が近くにいない時に起きる。少女に近づく大人は計画的に、あたかも少女の意に反していない体裁を取り、自己決定させ、“共犯者”にさせ、欲望を満たすのだ。ああ卑怯。

 
 そんなことをTwitter等で呟いていたら、知人の男性が「僕はロリコンは嫌いだけど」と前置きをした上で、「彼らは少女にしか欲望できない」「社会に弾圧される性的少数者」と“彼ら”の立場を解説するメールをくれた。ほーっ! 持つべきものは、男に詳しい男友だちだ。というのも、私は彼の言葉で初めて、“彼ら”のことを少し理解できたように感じたのだ。“彼ら”が性的弱者として“闘っている”可能性に。子供を搾取するなという“正論”に対し“表現の自由”を守る闘いに挑んでいることに。そして、少女性愛に対する世間の偏見や無理解と闘っていることに。

 正直、日本は世界でも珍しくロリコン文化に寛容な社会と考える私は、彼らの「追い詰められている感」には共感できない。妄想のまま一人で楽しむだけでなく、流通させ消費させ文化として発展させようとしている力に、むしろ脅威を感じている。ただ、“普通の性欲を持つ男”が同情的に語る彼らの様子を読みながら、改めて男の人は「ありのまま」が好きなのだなぁ、と考えさせられた。ありのままの性欲、ありのままの俺、それを受け入れてくれるありのままの少女。俺のありのままを否定する力には敏感で、女の痛みには鈍くいられるありのまま。女に「気持ち悪い」と言われようが、それが俺のありのまま。一方、女は「ありのまま」でなどいられないから「ありのままで~」と声を大にして歌いたいんだけどね。

 そんな男たちの心理を理解していかないと、日本のロリコン問題は解けないのだと思った。怒り続けるのはしんどい。ありのままの俺には、女の痛みや恐怖を語っても、何も届かないだろうから。

週刊朝日 2016年5月27日号