東京ヤクルトスワローズが14年ぶり7度目のリーグ優勝を果たした。西武ライオンズの元エースで監督経験もある東尾修氏は、勝敗を分けたのは「意識改革」だったという。

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 ヤクルトが14年ぶりにリーグ優勝を果たした。優勝マジック1としてから、少し硬さも見えたけど、優勝経験のないチームだから、仕方がない。大混戦の中で、自分たちの野球を貫いたからこその栄冠。素晴らしい戦いぶりだった。

 私は順位予想をする際には救援陣の充実ぶりから判断すると、以前もこのコラムで書いた。開幕前、ヤクルトがこれだけの救援陣を整備できるとは思わなかったから、優勝は予想できなかったよ。守護神のバーネットにセットアッパーのオンドルセク。7回にはロマンと秋吉を揃えた。シーズン終盤には変則左腕の久古も安定した投球をみせた。

 ただ揃えただけじゃない。高津投手コーチのブルペンでの投手の準備も見事だった。登板数を抑えるのではなく、ブルペンでの球数をうまく抑えた。守護神、セットアッパーだけでなく、7回に登板する投手も、試合ごとにローテーションを組んで決めていたようだ。何度もブルペンで投球練習をしてから、マウンドに上がる投手は少なかったと聞く。

 救援陣が安定すれば、先発陣にも「6回まで全力で抑える」という目標ができる。シーズン終盤、ベテランの石川が中4日で先発したが、球数は少なかった。救援陣の整備が先発に好影響を与えた。さらに言えば、リードした展開に持ち込めば勝てるという、自分たちのストロングパターンを見いだした。そのパターンで負けたとしても、「これで負けたら仕方がない」と次への切り替えが利く。真中監督は先発投手を引っ張らず、迷うことなく投手交代を繰り出していた。

 
 最下位から優勝へ。負け慣れてしまった軍団の意識改革は素晴らしかった。真中監督は、強烈な指導力を発揮して選手の負け犬根性を払拭したというより、選手個々に考えさせ、自己改革を促した。チームの規律はもちろんあるだろうが、選手の個性を見極めた上で、戦うべき道を模索した。

 選手の潜在能力を引き出すため、指導に従わせるのでなく、選手自身に気づかせる方法をとった。2番の川端には、併殺を恐れず、進塁打も要求しなかった。考える自由を与えた戦いが、ヤクルトの選手気質に合っていたのだろう。

 一方、リーグ4連覇を逃した巨人は、主力選手が目を見張る成績が残せないまま、原監督の采配とベンチワークでかろうじて戦ってきた。勝つことを義務づけられた球団だから、阿部、村田ら主力選手の個の力が足りなくても、勝つ術を見いだすしかない。

 だが、個が弱いと、選手に判断を託す場面が絶対的に減る。そうなれば、選手はベンチの思惑に応えようと「最低限」を考える。例えば、無死一塁だったら、「走者を進める進塁打を打とう」という発想になる。

 ヤクルトが失敗を恐れず「チームの最大化」を目指したとすれば、巨人は勝つためにミスを減らす「最小限の野球」をして窮屈になっていたような気がする。

 巨人はいま一度、軸となる選手を見いだし、個の強さを取り戻すべきだ。隙を作らない野球は、守備や走塁においては欠かせない。だが、攻撃面では、強烈な個の力の上に繊細な作戦が成り立つ。個を磨かないことには、常勝軍団の再建はままならない。試合でプレーするのは選手。まず選手を強くしないといけない。

週刊朝日  2015年10月16日号

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東尾修

東尾修

東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝。

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