週刊朝日でも東京の多様な側面をルポした「ずばり東京」や、ベトナム戦争に従軍して書いたベトナム戦記などを連載し、ノンフィクションの分野でも活躍した開高健。昭和の時代を駆け抜けた作家・開高健は何者だったのか。

 寿屋(現・サントリー)のコピーライターや、数々の賞を受賞した作家の顔を持ちながら、世界中を釣り竿一本で旅し、美食に舌鼓を打つ。多彩な足取りに共通するのは、書斎にこもらず現場に出る「行動する作家」の姿だ。

 1964年10月24日。

 風邪気味の開高健が、国立競技場で東京五輪の閉会式を見つめていた。五輪を前に、熱気あふれる東京各地をルポした本誌連載「ずばり東京」の最終回のためである。同連載は、64年11月まで約1年間にわたり、独自の視点で東京を見つめ、ユーモアあふれる口調で語ったノンフィクションの金字塔で、舞台化されるなど好評を博した。

「記憶しないことは、書くに値しない」。取材中、一切メモをとることはなかったという。

「取材相手に、『ほんで、ほんで』と言ってどんどん話をさせ、面白かったら大声で笑う。取材される側も次第に開高さんのペースになり、話が深くなる。まさに『天性の取材者』でした」

 当時の編集者だった永山義高さん(76)は言う。

 閉会式から3週間後の11月15日、朝日新聞社の臨時海外特派員として、戦地・ベトナムへと飛んだ100日は、想像を絶する体験となった。

<人間がつくづくイヤになって吐気をもよおすこともあり、いじらしさにうたれて涙のにじむこともあった>(『ベトナム戦記』)

 ベトコンに包囲され、集中砲火を浴び、200人中17人しか生き残れなかった、九死に一生の体験は、「強烈な出来事となり、彼の文学の核となった」(永山さん)。

 ノンフィクションの世界に踏み込み、東京からベトナムへと疾走した1年半。ここから、もっと遠く、もっと広い世界へ。釣り竿を持ち、さらなる旅に出る。

週刊朝日  2014年12月12日号