皇后美智子さまはこの10月で80歳、傘寿を迎えられる。同い年のジャーナリスト、渡邉みどりさん(80)が、両陛下を支えるひとり娘の黒田清子さん(45)に、新しい妃殿下像を見る。

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 夫の黒田慶樹さんは東京都庁に勤務する地方公務員。内親王の結婚相手が旧皇族でも旧華族でもない一般家庭出身の男性なのは紀宮さまが初めてでした。兄・秋篠宮さまの学習院時代からの親友でした。キューピッドは秋篠宮さまでした。秋篠宮邸でお会いすることが多かったそうです。

 清子さんは婚約時の会見で、両陛下が何も言わずに交際を見守ってくださったこと、プロポーズを受けたことをご報告した際の、両陛下のご様子をお話しされています。

<とてもうれしそうにほほえまれて「おめでとう」と喜んでくださいました>

 近年、女性の社会進出など、女性のライフスタイルの変化とともに晩婚化が進みました。おふたりのご結婚も、黒田さんは40歳、清子さんが36歳のときです。

 皇室は、時代を映す鏡とも言われますが、清子さんが築いてこられたキャリアにも、それがはっきりと表れています。これまで皇族として生まれた女性は、10代で婚約、大学中退、結婚という道を歩む方も少なからずおられました。

 一方で学習院大学文学部国文学科を卒業なさった清子さんは、和歌の素養を高く評価されてきた方でした。ゼミでは新古今和歌集の「冬歌」などを研究なされ、大学の卒業論文は、「八代集四季の歌における感覚表現について」をお書きになりました。同時に、バードウオッチングにも関心を深め、在学中に渡り鳥の標識調査をする「バンダー」の資格も取ったそうです。

 卒業後は、山階鳥類研究所に研究助手として就職。6年後には研究員へとステップアップ。非常勤の形態ではありましたが、ご結婚を機に退職なさるまで13年も働かれました。初任給は数万円。清子さんは、大学卒業に先だって行われた記者会見で、「ささやかでもお金をいただいて仕事をさせていただくことは、とても責任のあることだと思います」と、お仕事への期待をにじませました。専門分野は空飛ぶ宝石と言われるカワセミ。

 国立科学博物館の皇居調査グループが平成13(2001)年に発行した『皇居・吹上御苑の生き物』(世界文化社)にも、紀宮清子の名前で、「皇居のカワセミ」と題した原稿を寄せています。百科事典にも執筆しています。

 清子さんがキャリアを積んできたのは、なぜでしょうか。2人のお兄さまと異なり、内親王としてお生まれになった清子さんは、皇室典範第12条の規定により、結婚すると皇室を離れることが定められていました。美智子さまは小さいころから将来のことを念頭に置かれて清子さんをお育てになりました。

 美智子さまはお子様一人ひとりに仕事の役目を作ってしつけをされてきました。

 サーヤのお仕事は毎朝、東宮御所のご門に牛乳と新聞を取りに行き、新聞をお父さまのところに、牛乳はキッチンに届けること。

 小学校3年生のときには毎週日曜日にお食事の準備とあと片づけもお手伝いなさいました。美智子さまはいずれ降嫁される紀宮さまに実践的なしつけをなさったのです。

 自立した女性に、は美智子さまの娘教育の基本方針でした。当時、正田家の知人は、母・正田富美子さんご伝来のお考えだとおっしゃっていました。東宮御所の南向きの8畳ほどの洋室は清子さんのお部屋で、ベランダには洗濯機まで置いてあったという話も耳にしたことがあります。将来、普通の暮らしになじめるよう、美智子さまは、清子さんが幼いころから手順を踏んできたのです。

週刊朝日  2014年10月17日号より抜粋