「治療が始まるとおそらく髪が抜けます」

 国立がん研究センター中央病院(東京都中央区)で乳がんの化学療法を受けることになった40代の女性は、主治医のこの一言に愕然とした。毛量が豊かで白髪がほとんどない自慢の髪。治療のためとはいえ、その髪を失うだけでもつらいのに、そのままの姿では外に出ることもできない。上手に隠せるのだろうか。これまでどおり職場に通えるのだろうか──。

 そんな不安を抱えた女性が医師から紹介されたのが、院内にあるアピアランス支援センターだ。棚一面にさまざまなウイッグ(かつら)がずらり。「今の髪の状態に近いものにしなければ」と思い込んでいたが、センター長で臨床心理士の野澤桂子さんに勧められていくつかウイッグをつけてみると、意外にほかの髪色やヘアスタイルも似合うことに気づいた。「治療が終わって新しい髪が生えてきたら、いろいろ挑戦してみようかな」。そんな前向きな気持ちで、化学療法に臨むことができたという。

 アピアランス(Appearance)とは「外見」のこと。手術、化学療法、放射線治療などのがん治療は、脱毛、顔や体の欠損、爪の変形、皮膚の変色、湿疹、傷あとといったさまざまな外見の変化をもたらすことがあり、患者に大きなストレスを与えている。

 2009年、野澤さんらは同院通院治療センターで抗がん剤治療を受けた638人の患者に、抗がん剤治療に伴う身体症状の苦痛度を調査した。その結果、女性では、まつげや眉毛の脱毛、爪のはがれ、顔の変色など「外見」にかかわるものが上位20の半数以上を占めた。とくに頭髪の脱毛は、自覚症状を伴う吐き気や発熱よりも苦痛度が高かった。

 国立がん研究センター中央病院では、野澤さんが中心になって外見に悩む人をサポートする取り組みを続け、13年4月にアピアランス支援センターが開設された。同院の通院・入院患者であれば、無料で利用できる。野澤さんとともに活動をしてきた乳腺・腫瘍内科、外来医長の清水千佳子医師は、患者の状況をこう話す。

「医療技術が進歩し、外来通院で抗がん剤治療を受けられる時代になっているのに、外見を気にして外出ができないというようでは本末転倒です。また、がんになっても、『生活者』だということに変わりはない。臨床の現場では、がんの治療ばかりに目が行きがちですが、患者が治療に前向きに取り組むためにも、医療機関の中で外見のケアを行うことはとても重要です」

 センターができた今は、抗がん剤の治療が決まった患者に「治療による外見の変化は避けられないけれど、サポートを受けられますよ。自分に必要かどうか今はわからなくても将来役立つことがあるかもしれないので、一度足を運んでみてください」と情報を伝えている。

週刊朝日  2014年8月22日号より抜粋