ふるさとに暮らす老いた親が、いよいよ動けなくなったとき、あなたはどうするだろうか。同居して世話するのも一案だが、離れて支える“遠距離介護”を選ぶ人もいる。「同居」だけが介護ではなく、もちろん別居もメリットはあるが、意外な苦労もあるようだ。

 東京都在住のアキコさん(仮名・61歳)は8年前、西日本の離島に住む父の膀胱がんが悪化したのを機に月2回、実家へ通い始めた。新幹線とバスを使って片道7時間。だが、父の病状進行に従い、アキコさんは東京に戻れなくなっていった。

「当初は母と一緒に父を介護するつもりだったのに、母は介護も家事も放棄し、私に丸投げしたんです」

 当時アキコさんの2人の娘はすでに独立し、夫は単身赴任中。フリーランスで編集などを請け負う自分が、「東京を離れられない」とも言い張れない。帰省中に仕事をしようと思ったがこなせず、結局廃業した。

「自分の世界を一つ失った喪失感は大きかった」

 父の要介護認定を受けようとしたが、母は「娘がいるのにみっともない」と拒否した。

 娘への依存と支配を日に日に強める母は、アキコさんに家事以外の外出をほとんど許さなかった。「奴隷のように扱われる」生活が2年続いたころ、アキコさんの心に張りつめていた糸がプッツリと切れた。

 
「私を東京に帰して! このままではお母さんを恨んでしまう。働いて仕送りするから家政婦を雇って」

 アキコさんをここまで追い詰めた理由の一つは両親を故郷に置いて上京したことへの“罪悪感”だった。長年、両親は娘と同居する知人をしきりにうらやみ、帰省のたびに親戚から「早く帰ってきてあげて」と言われ、責められているように感じていたのだ。

 とはいえ、アキコさんはそのまま故郷に残った。終末期に近づき、父の深夜のトイレ介助は一晩で20回以上。排泄のたびに痛がり苦しむ父の背中をさすり続けるアキコさんはまとまった睡眠がとれず、167センチと長身の体重が50キロを割った。

 3年前に父が他界後、今度は母が認知症になり、今は定年退職したばかりの同郷の夫と実家に移り住んで介護する。

「母に本音をぶつけ、いよいよとなれば人に任せればいいと割り切れるようになり、気持ちが少し楽になりました。遠距離介護で私の人生設計は狂ったけど、全力で父の世話ができて後悔はありません。母が家事をしなくなったのは、面倒をみすぎた自分の責任でもある。これからは母を精いっぱいみてあげたい」

週刊朝日  2014年7月18日号より抜粋