知的障害または精神疾患がある人が微罪を重ねて何度も刑務所へ行くケースが増えている。受け皿づくりが急務のなか、NPO法人北九州ホームレス支援機構理事長の奥田知志さんは彼らの責任だけを問うのは問題だとこう話す。

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 1988年から北九州を中心にホームレス支援をしています。炊き出し、居住支援、就労支援、最近は子どもの貧困対策として学習支援もはじめました。

 2006年1月、JR下関駅が放火されました。犯人は当時74歳の男性で、刑務所出所後8日目の犯行でした。22歳で最初の放火事件を起こし、それまでに10回服役、実に44年間を刑務所で過ごしてきました。彼は、過去の公判で知的障害を何度も指摘されていますが、いまも療育手帳を取得できていません。裁判は法務省、障害福祉は厚労省。制度の狭間に置かれてきたのだと思います。

 彼は事件直前まで北九州にいました。「出会っていれば……」という悔いもあり、下関署を訪ねました。「お金も行き場もなく、刑務所に戻りたかった」が放火の理由でした。8日間の足取りを追うと、警察、病院、役所と接点がありましたが、彼を引き受けるところはなかった。放火は犯罪です。しかし私たちは他の選択肢を彼に示すことができなかったのです。あの日、彼にとって帰る場所は刑務所だった。

 

 官民恊働で「ホームレス自立支援センター北九州」の運営をしています。毎年100人程度自立しますが、全体の5割以上に知的障害あるいは精神疾患があります。私たちと出会うまで、ほとんどの人が障害認定を受けていません。セーフティーネットにかからないまま、大人になり、ホームレスになっています。

 いつ誰がホームレスになってもおかしくない時代、貧困も障害も個人の問題とされがちですが、私はそうは思いません。「社会復帰支援」といいますが、そもそも復帰したい社会なのか。社会が問題を生みだしているのではないのか。

 独自の自立支援施設もつくり、すでに2千人以上が自立していきました。しかし昨秋、市内に新しい施設を開設した際、地域から激しい反対運動が起こりました。幟旗には「取り戻そう!安心して住める街」とある。“ホームレス=危険”という差別意識が垣間見えます。社会的排除の現実を放置したまま、自己責任だけを問う社会は問題です。

 その後、私は下関駅に放火して服役中の男性の身元引受人になりました。手紙のやりとりが続いています。彼は繰り返し、「ぼくを支えてくれる人は一人もいませんでした」と書いてきます。2年後の出所の日、彼を迎えに行こうと思います。

週刊朝日 2014年1月24日号