田原総一朗「安倍首相の靖国参拝で改めて考えた東京裁判の意味」 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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田原総一朗「安倍首相の靖国参拝で改めて考えた東京裁判の意味」

連載「ギロン堂」

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 中国や韓国はもちろん、米国からも批判を受けた安倍首相の靖国神社参拝。ジャーナリストの田原総一朗氏は、あらためて日本の戦争、東京裁判について考えた。

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 新しい年とはなったが、2013年12月26日に安倍晋三首相が靖国神社に参拝したこと、そしてこの行為に対する内外の反応について、あらためて考えたい。

 中国、韓国は、当然ながら強い批判をぶち上げ、アメリカ大使館、そして国務省も「失望」という強い表現で批判した。国内の少なからぬメディアも批判を示した。

 首相の靖国神社参拝が国の内外で批判を浴びるのは、1978年に靖国神社に東条英機をはじめ14人のA級戦犯が合祀(ごうし)されたためである。

 戦争を知らない世代には、A級戦犯についての説明が必要かもしれない。1945年8月15日に、日本が米、英、ソ連など連合国に敗れるというかたちで太平洋戦争が終わった。そして「平和を侵した」、つまり「侵略戦争」を行った責任者として100人以上がA級戦犯容疑者として逮捕され、連合国による東京裁判が行われて、25人が有罪となり、東条英機など7人が死刑に処せられた。

 そして、1980年以前は、日本による昭和の戦争(満州事変、日中戦争、太平洋戦争)は侵略戦争で、25人がA級戦犯の判決を受けたのは当然だとするとらえ方が、ほとんどの全国紙、テレビ、ラジオなどマスメディアで、ほぼ定説のようになっていた。つまり、東京裁判の判決が、そのままほとんどのマスメディアの歴史観となっていたわけだ。だが、80年代の中盤になると、「東京裁判史観」、つまり日本が侵略戦争を行ったというのは間違いだ、という意見が登場するようになり、90年代、そして2000年代に入ると、「東京裁判史観の呪縛を排せ」というとらえ方がどんどん増えてきた。連合国の呪縛にとらわれていた戦後の日本は大いなる誤りを犯しているというのである。

 私は、実は70年代の中頃から、特に太平洋戦争について、日本による侵略戦争ととらえる定説には少なからぬ違和感を覚えていた。だが、東京裁判史観を排せという人々の中核
となっている、日本の戦争を肯定する意見にも強い違和感を覚えざるを得ない。私は、太平洋戦争は世界の大侵略国であった英、米、蘭、仏、ソ連などと、やはり朝鮮半島、台湾、満州などを手中にした侵略国・日本との、いわば侵略国同士の世界制覇を目した戦争であったととらえているのである。

 そして日本は敗れた。そもそも勝てる見込みなどなかった戦争であった。そんな戦争を引き起こして、300万人以上の国民を死に追いやった責任は、当然ながら当時の指導者たちにある。いわばA級戦犯たちだが、当時、新聞、ラジオ、雑誌などマスメディアは、ほとんど戦争突入を大賛美していたのである。

 そして、そのマスメディアが、戦後は一転して、東京裁判史観に乗せたかたちで昭和の戦争を、そしてA級戦犯たちを容赦なくたたくようになった。

 私は、70年代にこうしたマスメディアのあり方に疑問を抱き、東京裁判史観に違和感を覚えるようになったのである。

 だから、80年代に東京裁判史観を排せという意見が登場してきたのは当然であり、勇気ある意見だ、とさえ感じていた。

 しかし、だからと言って、昭和の戦争を肯定するのは大きな誤りである。その風潮が高まりつつあるのは危険だと、声を大にして言わねばならない。

週刊朝日 2014年1月24日号


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田原総一朗

田原総一朗(たはら・そういちろう)/1934年、滋賀県生まれ。60年、早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。64年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。77年にフリーに。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。98年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。早稲田大学特命教授を歴任する(2017年3月まで)。 現在、「大隈塾」塾頭を務める。『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数

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