オウム麻原彰晃 暴走へのきっかけは「修行中の事故死」隠し 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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オウム麻原彰晃 暴走へのきっかけは「修行中の事故死」隠し

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週刊朝日

 95年3月20日午前8時過ぎ。普段の通勤ラッシュの風景が一変した。オウム真理教が引き起こした「地下鉄サリン事件」は死者13人、重軽症者6千人以上を出した、戦後最大級の無差別殺人事件だ。現在も多くの被害者が後遺症に苦しんでいる。

 なぜ、オウムは凄惨なテロ事件を起こしたのか。大きな転機は、88年に男性信者が修行名目で繰り返し水に顔をつけられ、風呂場で死亡した"事故"だったとされる。このとき麻原は、

「せっかく教団の勢いが出ているときだし、(死亡事故は)内々に処理したほうがいいんじゃないか」

 と述べ、同意した教団幹部らが遺体をドラム缶で焼却した。現場に居合わせた田口修二さんは疑問を抱き、脱会しようとしたため、麻原の指示で翌89年、教団幹部だった早川紀代秀死刑囚(62)らに殺された。

 ここからオウムは一気に暴走し始める。

 同年、「オウム真理教被害対策弁護団」を結成した坂本堤弁護士は、教団相手の訴訟を準備していた。麻原は、彼の存在は教団にとって邪魔だととらえ、

「(坂本弁護士を)ポアしなければならない」

 と幹部に殺害を指示。早川死刑囚ら6人はこれを受け、坂本弁護士と妻、一人息子を殺害した。

※週刊朝日 2012年6月22日号


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