〈私はあることがきっかけで、長らく遠ざかっていた文学と再会することになった〉。奥憲太『働く文学』は、そう語る著者の異色の文学案内だ。バブル後の1990年代前半、就活に乗り遅れた著者は就職浪人中に海外を放浪。その後、旅行会社に就職したものの、乗り気のしない仕事をずるずると続け……というあたりの長ったらしい前半部分は、正直いってどうでもいい(ごめんね)。

 興味深いのは、就職して7~8年、30代になった彼の頭に浮かんだのが森崎和江『まっくら』(1977年)に出てくる〈人間は意志ばい〉という一節だったという話である。『まっくら』は炭坑で働く女性たちへの聞き書きだ。それがなぜ都市のサラリーマン男性に響いたのか。炭坑の女性たちから〈どのような環境であったとしても、人は自分の意志で働くことを創っていくことができる〉とメッセージを受け取った彼は、やがて転職するのだが……。

 ともあれ、本書で紹介された「仕事に悩んだ時、読んでほしい29の物語」が名作・佳作ぞろいなのは事実。高校を中退し、電気工事のアルバイトをする少年を描いた佐伯一麦『ア・ルース・ボーイ』(1991年)。同い年の女性が立ち上げた家事代行の清掃の会社で働く女性が登場する角田光代『対岸の彼女』(2004年)。九州から上京し、浦安の建築現場で働く青年を主人公にした佐藤洋二郎『河口へ』(1992年)。

 働く人を描いた新しいタイプの小説が出てきたなと感じたのは、本を箱詰めにするライン労働を描いた岡崎祥久『秒速10センチの越冬』(1997年)が群像新人文学賞を受賞したときだった。それから20年。非正規雇用やブラック企業が大きな社会問題になろうとは当時は予想もしなかったが、働く現場を描いた文学作品には相当な蓄積があったのである。

〈答えを探し続けることに疲れた時は、ハウツー本や著名人の成功本よりも、静かに文学の言葉に耳を傾けてみてほしい〉。若い人にはよいアドバイスかも。昔はみんなそうしてたんだけどね。

週刊朝日  2017年10月20日号