■地方の牧場主に嫁いだ池田厚子さん
同じく現在の天皇陛下の姉で、昭和天皇と香淳皇后の四女・順宮(よりのみや)厚子さまは、岡山県の牧場主・池田隆政氏に嫁がれた。その嫁入り道具が紹介された特集では、持参金は700万円(現在の価値で1300万~4600万円)と記されている。
台所用品は<米櫃もブリキ製の手軽なもの>とあり、一般的に使われているものと変わらないように見えるが、冷蔵庫や洗濯機、ミシンなどの家電のほか、銀製の洋食器などもあり、<全て国産ながら垂涎もこれ無理からぬこと>と綴られている。やはり当時の感覚では贅沢品だったのだ。
結婚式は1952年10月10日、同じく<東京芝高輪光輪閣で、宮内省式部長官松平康昌夫妻媒酌のもとに、三々九度の盃>(「アサヒグラフ」1952年11月5日号より)をかわされた。
その後、厚子さまの“お国入り”では、岡山駅から新居までの約4キロをオープンカーでパレードし、押し寄せた人たちで路面電車が立ち往生するほどの人気だった。
■新婚旅行ブームをつくった“おスタちゃん”こと島津貴子さん
昭和天皇の末娘、清宮貴子さまは明るい性格と抜群のファッションセンスから、“おスタちゃん”と呼ばれ国民的な人気を集めていた。1959年3月、成人に際しての記者会見で好きな男性のタイプを聞かれ「私の選んだ人を見てください」と答えた言葉が流行語になったほどだ。
兄である明仁親王(現・天皇陛下)が「テニスコートの出会い」を経て、正田美智子さん(現・皇后陛下)との結婚を発表したのが前年の1958年。ミッチー・ブームとともに、皇室から一般社会へと恋愛結婚のブームを巻き起こしていた。
注目された”おスタちゃん”のお相手は、銀行マンの島津久永さん。職場まで電車で通勤し、昼休みに屋上でバレーボールをする庶民的な様子が伝わるが、<皇后さまのいとこで、目をかけられていた青年>(「アサヒグラフ」1959年4月5日号より)だった。
結婚式は1960年3月10日、光輪閣で行われた。その日の午後には、海運クラブで<皇太子(現在の天皇陛下)、義宮(天皇陛下の弟、常陸宮さま)、鷹司夫妻、安倍学習院長など、約百二十人の関係者が集まって華やかな披露宴が二百平方メートルの大食堂で行われた>(同)
新婚旅行は宮崎。当時、アイドル並みの人気だった”おスタちゃん”の行く先々には、報道陣や地元の人たちが詰めかけた。島津夫妻がたどった旅程は「島津ライン」と呼ばれ、ハネムーンの定番ルートになった。
憧れと親近感が入り交じるプリンセスたちの“降嫁”が一般社会の結婚に与える影響は、決して小さくなかったのだ。(AERAdot編集部 金城珠代)