ロシアによるウクライナ侵攻から1年が経過した。ロシア軍は2月に入ってからもウクライナ東部を中心に攻撃を続け、各地で激しい戦闘が続いている。戦況の泥沼化でロシア軍の疲弊は避けられない中、なぜ、プーチン大統領は侵攻に固執するのか。朝日新聞取材班による新刊『検証 ウクライナ侵攻10の焦点』から一部を抜粋して紹介する。

【写真】プーチン氏の顔写真とともに「間抜けなプーチン」の文字が書かれた火炎瓶

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プーチン大統領はなぜ、無謀なウクライナ侵略に踏み切ったのか。この単純な問いに対する明快な答えは存在しない。この点が不可解なことによって、「いったいどうなればこの戦争が終わるのか」「どういう条件ならプーチン氏は停戦に応じるのか」という、誰もが知りたい疑問に答えることを難しくしている。

2月以降のプーチン氏とロシア軍の言動は、どうにもちぐはぐで、一貫性に欠けている。 開戦に先立つ2月21日、プーチン氏は、ウクライナ東部のドネツク、ルハンスク両州について、国家として独立を承認する考えを表明した。

両州の一部は、2014年以降、ロシアの支援を受けた武装勢力によって占領されていた。プーチン氏の目標は、ロシアによる事実上の支配地域を2州全体に広げることのように思われた。

だが、その3日後、ロシア軍はウクライナに対して、北、東、南の3方向から全面侵攻に踏み切る。ゼレンスキー大統領を拘束ないし排除して、ウクライナに親ロ政権を樹立することが狙いだった。

ロシア軍はウクライナの激しい抵抗を受けて、首都キーウ攻略を断念。ショイグ国防相は作戦の第1段階が終了したと一方的に宣言し、東部ドネツク、ルハンスク両州に戦力を集中する考えを表明した。

ところが9月に入って、ハルキウ州の東部で大敗走を喫すると、東部の2州にくわえて、南部のザポリージャとヘルソン州のロシアへの編入を宣言してしまう。「ロシア領」になったはずの4州のうち、この時点で実際にロシア軍がほぼ全域を占領していたのはルハンスク州だけだ。

それからほどなくして、ロシア軍はヘルソン州の州都ヘルソンを含むドニプロ川の西岸を放棄することを余儀なくされた。ロシアは併合を宣言したばかりの「自国領土」すら防衛することができないという恥ずべき状況を、自ら招いてしまったのだ。

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プーチン氏の「執念の正体」