都会が教育の「先進地」だったのは、今は昔。コロナ禍をきっかけにリモートワークが普及し、20~40代の子育て世代の地方移住が増えている。学習塾「探究学舎」代表の宝槻泰伸さんは、従来とは異なる多様な教育を求めて、妻と5人の子どもたちと、東京・三鷹から長野・軽井沢に生活拠点を移した。爽やかな自然のなかに見つけた理想の教育とは。『AERA English 特別号「英語に強くなる小学校選び2022」』で、宝槻さんに話を聞いた。

「何をどう学ぶか、子どもたち自身がデザインしてほしい」と話す宝槻さん(写真/今村拓馬)
「何をどう学ぶか、子どもたち自身がデザインしてほしい」と話す宝槻さん(写真/今村拓馬)

*  *  *

■軽井沢移住で教育も生活も質が高まった

――2020年3月に、軽井沢に移住されたきっかけは。
 
 妻が「移住したい」と。昨年夏の住まいは、井の頭公園(東京都武蔵野市、三鷹市)のそばにあり、都内でも恵まれた住環境でした。妻はそれでも「東京に疲れてしまった」と。もっと心を落ち着かせて暮らせる場所を探そうということになりました。軽井沢は、高地で木々の感じが欧州や北海道に似ていて、旅行で訪れた際に洗練された印象を抱いていました。

――お子さま5人の教育環境が激変してしまいますね。

 移住の前年、教育学者の苫野一徳さんを「探究学舎」にお招きし、講演会を開いたんです。苫野さんは軽井沢で新しい学園の設立準備をしていました。学園の指針は「自由の相互承認の感度を育む」。つまり、自分が自由であるために、相手の自由を踏みにじってはならない。「その感度を公教育で育むのだ」という提言が新鮮で感銘を受けました。

――宝槻さんが主宰する「探究学舎」とも合致しますね。

 日本の学校教育は、明治政府の富国強兵や、戦後の高度経済成長など、国家のために必要な労働者の育成機関として設置された趣が強い。そうではなく、自由の感度を育むために本人が、何をどう学ぶかをデザインし探究する。新学園の姿勢が腑に落ちました。ただ、自分は仕事があるし、三鷹を離れられない。妻に「(移住は)まだ先でもいいんじゃない?」と言うと、妻は「いやいや、今年受験しなきゃ!」。20 年春の「軽井沢風越学園」開校直前、上の小学生3人に「合格通知」が届き、「もう、これは軽井沢に行くしかないな」って。

著者 開く閉じる
加賀直樹
加賀直樹

1 2 3