だからこそ、そのネタを作っている側の芸人は、作っていない側の芸人に対して「こいつだけ楽をしやがって」という不満を持つことが多い。ネタ作りには膨大な時間と手間がかかる。片方がネタ作りで苦しんでいるときに、もう片方は漫然と寝たり遊んだりしていることもある。

 それなのに、取材などのときには、ネタについて聞かれて、書いていない方がネタの中身についてペラペラと得意気に解説したりすることもあるという。ネタを書いている方が「お前、書いてねえだろ」と思うのは当然のことだろう。

 ただ、残念ながら、彼らのこの苦しみはなかなか見ている側には伝わらない。見る立場からすると、コンビのどちらがネタを書いているかというのは取るに足りないことだからだ。バンドが曲を演奏しているのを聴いて、その曲を誰が作ったのかをいちいち意識している人は少ないだろう。受け手にとってはいい曲かどうかが重要なのであって、誰が作ったのかはどうでもいい。

 恐らくネタを書いている芸人もそんなことは百も承知だろう。だから、彼らは普段は頑なに口をつぐんでいる。しかし、ときにそんな心の声が漏れ出てしまうことがある。彼らが人知れず抱える苦悩はそれほど深いものなのだろう。

 個人的には、エンタメであることは十分承知の上で、ネタを書いている方が書いていない方を執拗に責めるのはあんまり見栄えが良くないのではないか、と思う。例えるなら、家庭の中で働き手の夫が専業主婦の妻に対して「誰の稼いだ金で生活してると思ってるんだ!」とすごむようなものだ。「それとは違う」と言われそうだが(もちろん全然違うのだが)、そういう感じに見えちゃっていることがありますよ、とは言いたい。
 
お笑いコンビの一方が不祥事を起こしたときのもう一方の動きなどを見ればわかるように、コンビという関係性は実に不思議なもので、仕事の上では理不尽なほどの一蓮托生を強いられる。「ネタを書く・書かない」にまつわる確執は、その理不尽さの極みのようなことなのだろう。

 我々受け手側にできるのは、ネタを作っている側に対して余分に気を使うことではなく、そんな小難しいことは考えずにネタを見て笑うことだけだ。(お笑い評論家・ラリー遠田)

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ラリー遠田

ラリー遠田

ラリー遠田(らりー・とおだ)/作家・お笑い評論家。お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』 (イースト新書)など著書多数。近著は『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)。http://owa-writer.com/

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